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2019-09

失うとは何か、小説とは何か@世界から猫が消えたなら

ベストセラーというものは世相を反映しているはずだ。
だから、たまには私もベストセラーを読む。
この1冊もそう。

「世界から猫が消えたなら」

あらすじはこうだ。
主人公は母を失い、父とは気まずくて会話がなく、恋人もいない。
猫だけが癒しの独り暮らしの郵便配達員。
余命いくばくもない末期がんと宣告される。
そこに悪魔が現れて、「何かを1つ消すごとに寿命を一日伸ばしてあげる」という。
何を消すかは悪魔しだい。
悪魔は絶妙に空気を読みながら、いろいろ消していく。
「消す前にそれを一回使っていい」という救済ルールを活用しながら主人公は元彼女や友人と最期の別れをする。
その過程で亡くなる直前の母の真意や父の思い、家族とは愛とは何かを見出していく主人公。
最終章で、主人公は「猫を消すぐらいならもう生き続けなくていい」と決断する。
そして死の前に主人公は猫を託すため、最期の言葉を伝えるため、郵便配達員の服を着て父のもとに向かう。



いい話だと思う。
大切な人を失う痛みは普遍的なテーマだ。
ためになる「名言」も話のあちこちにちりばめられている。
だが。
普遍的すぎるのだ。
余白が多い、ともいえる。

余白を埋めていく事は作品の1つの楽しみ方だ。
しかし、余白が多すぎてはいけないと思う。


私にも喪失の経験はある。
もういい年だ、大切な人を何人も見送った。
祖父母、恩師、恋人。
けれど、それはあくまで私の体験だ。
それを加味して初めて完成する物語は、小説ではないと思う。

読後感としては「画集を買ったら塗り絵だった」感じだ。
塗り絵だって楽しくはある。
私の塗った塗り絵は他の人とは違う私だけのスペシャルなものだろう。
でも、私は画集を買ったはずなのに。
その作者の感性に触れたかったのに。
作者は自分を「からっぽ」と評しているとあとがきにあった。
それも一つの個性なのだろう。
だが、私は塗り絵ではなく画集を買ったのだ。
作者が、プロがつけた色を見たかった。
私には到達できない、圧倒的な何かを。


そして、「自分の喪失」に当てはめやすいよう、随所にオリジナルの「名言」が配置されている。
それがまた小説ではないという印象を強めている。
「名言」は確かにいいことを言っている。
しかし、多すぎる。

小説において名言は独立した名言でない方がいいと思う。
この人物がこのタイミングで言うから沁みる、そういうものであってほしい。


ただ、これがヒットするのは非常に現代的で、今の日本社会らしいのかもしれない。
プロの作る圧倒的な何かより、素人くさいぐらいのほうがいい。
手の届きそうな身近なものがいい。
松田聖子からAKB48への流れと同じ変化がここにはある。

ネットにある「夢小説」。
主人公の名前は読者が入力する。
展開するのは「私」が憧れの世界に入り込んだ物語。
憧れのスターが自分のものになっている世界、自分だけが見られる世界。
隣の誰かが同じものを読んでいても、それはその人の世界であって、自分の世界は侵されない。

こういう時代だ。
もうその流れは止められない。

それでも私は思う。
小説は未知の世界に誘う、プロの仕事であってほしいと。

作者のオリジナルの「喪失」を読みたい。
からっぽの自分に至るまでの喪失を。
それこそが小説であり、物語だと私は信じている。
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