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2019-07

えなりかずきの少年法不要論と「失われた子供時代」

えなりかずきがビートたけしの番組でした発言がネットで話題になっている。
内容自体は平凡でまっすぐで素直に感情的な少年法廃止論だ。
しかし。
えなりかずきが言うと、痛い。


彼は子供時代、特に思春期を持たずに成長した。
子役として活躍している子供は、体は子供でも子供である事を許されない。
大人並みの責任感を持たねばならない。
(実際に大人並みに責任をとれるかどうかとは別に、心構えの問題だ


「自分は子供の時から大人と同様に振る舞うことができた」
それはえなりかずきの誇りなのだろう。
と同時に、後悔している自分を無理に押し殺す、心の悲鳴にも聞こえる。


子供が子供でいられない。
これは紛れもない悲劇だ。
えなりかずきは6歳で「渡る世間は鬼ばかり」に出ている。
言わずと知れた嫁姑戦争のドラマだ。
普通の家庭の6歳児がこのドラマを見ていたとしたら、チャンネルを変える親も多いだろう。
よしんば見ていても、姑の心情など理解しないまま「オトナの世界」を楽しむだけで終わる。
しかし、子役として仕事をしているのなら、話は別だ。
ちゃんとドラマの筋を理解しなくてはならない。
あのドラマに描かれた人の業を6歳児の眼に焼き付けることになる。

そんな事をしていれば、あっという間に子供は「小さな大人」になってしまう。
簡単に、でも自然に、でもない。
痛みを伴う努力を必要とする変化だ。



人は自分の受けた痛みには意味を見出したい生き物だ。
「あの辛い体験は私を成長させた、だから今の私がある」
誰だってそう信じたい。

えなりかずきもそうだったのだろう。
6歳で大人の世界に足を踏み出した。
必死で努力して、「小さな大人」として大人の世界を泳ぎきった。
自分には泳ぎきる事ができていた。
その経験は自分を成長させた。
そう信じなければ、生きていけない。


自分が必死に苦労してやり遂げた事を認められたい。
人としてあまりに当たり前な欲望。

「子供が大人並みの振る舞いをする事」

それに価値がなくてはならない。

だから、「子供は子供レベルの責任の取り方でいいよ」という少年法が許せない。
許したくない。




えなりかずきの激しい口調に、私は「子供でいられなかった」彼の心の痛みを感じた。
彼も「子供だから仕方ないよ」とか「子供の責任は親がとるものよ」とか、誰かに言ってほしかったのではないだろうか。

俳優の演説だ、もちろん本音の吐露ばかりではないだろう。
それにしても、あの晩の口調は激しすぎた。
他の番組のコメントを見る限り、えなりかずきはクレバーで、こんな過激な事を言う人物ではない。



子供は子供でいい。
未熟で当たり前で、その未熟さは周囲の大人がカバーするべきものだし、責めを負うときも周囲の大人も分担するべきだ。


何歳まで「子供」かは価値観の問題で、現行の20歳以外の答えもあるだろう。
少年法の守りの壁が厚すぎるという批判もあろう。
刑罰や報道の在り方については議論が必要だし、私も現行法が100点満点とは思わない。
しかし、少年法の存在自体を否定するのは、過激過ぎる。




そして、今回のえなりかずきの発言で我々が考えるべきは「少年法不要論」の是非ではない、と私は考えている。
「子供時代を奪われた子供」の傷の深さを、我々大人は深く反省しなくてはならない。

「子供は未熟だ」
「子供の未熟さをカバーするのは大人の義務だ」
こんな当たり前の事を理解できなくなるほどの傷。






大人として、1人の人間から子供時代を奪うことについてよく考えるべきだ。


そのドラマは、その娯楽は、1人の人間の二度と帰らぬ子供時代を奪ってまで作らなければなりませんか?
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