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2019-07

生き残った痛み

久々にスカステでロジェを見た。
ミズさんステキだなあ…
と同時に。


生き残った者の悲しみが痛い。



生き残るのは、痛い事だ。
もちろん痛いのも生きていてこそだから、生きているのは嬉しい事だけれど。



大切な人を失うのは、それだけでも痛い。
それが若いうちだったり、志半ばだったり、誰かをかばってのことなら尚更痛い。




そして、亡くなった人は年々記憶の中で美化されていく。
悪いことは忘れ、良いことばかりが残る。

そして、リアルな自分の生々しいクズさと、ノスタルジーの中のその人の美しさの対比に打ちのめされる。

「なんでこんなクズの私が生き残って、あんな素晴らしい人が死んでしまったの?」





私は「人は死んでもその人を愛した人の記憶の中で生き続ける」みたいな言葉が大嫌いだ。
「人は忘れ去られた時、本当に死ぬ」とかさ。


じゃあ何?
亡くなった人を思い出さなくなるぐらいの新しいの幸せをつかむ事は、かつて愛したその人を殺す事なの?



そんなつもりじゃない、と、ああいう言葉を吐く人は言うだろう。
でもね。
大切な人を亡くしたら、それだけでも立ち止まりがちなんだ。
前に進んで今の自分の人生を生きるより、記憶の中の美化された大切な人と生きていく方が楽かもしれない。

それでも前に進まなきゃいけない。
生きていく以上、思い出の中に引きこもるわけにはいかない。



日本には成仏という言葉がある。
人は死後、忘れられてやっと成仏できるんじゃないかな。
忘れるっていっても、完全に忘れるじゃなく。
何を見ても思い出すような状態から抜け出すことだ。



大切な人を亡くすと、まるで恋の病にかかった時のような世界になるのよ。



スーパーに行けば、その人の好きだった食べ物を無意識に探してるの。
街をあるけば、その人に似た面影を探してしまう。
その人の呼び名と同じ名前を呼ぶ声に振り返る。
買い物に行けば、その人の好きなブランドの前で足が止まる。
音楽も、芸能人も、何もかもその人の好きだったものに反応してしまうの。



二度と会えないのに。



いつか、趣味でも仕事でも恋でも、何かに夢中になって、しばらくしてふと気付くの。
その人の好きだったものに反応しなくなっている自分に。
その人が「大切な人」から「大切だった人」に変わっていることに。



それは正しい事なのよ。
もし死後の世界があるのなら、相手も安心してくれるわ。




「死んでも記憶の中で生きている」なんて、亡くなった人の事しか考えられないショック状態の時の気休めでしかない。
死は死なのに。
いつか前に進む時、無駄な罪悪感を産む言葉なのに。
気休めなんか聞いている場合じゃないのに。



レミゼラブルで私が1番泣いたのは、マリウスが「僕は生きている」と歌う歌だ。
英雄じゃない、ただの人間。
英雄は死に、凡人の自分が生き残った。
大切な人はいなくなり、それでも自分は生きている。




結局のところ、人が亡くなる悲しみは時代、年齢、性別、人種、国境、何にも関係ない。
だからフィクションにもたくさん出てくる。
でもね。

悲しいだけなら、そこまで苦しくないのよ。
悲しいだけなら、浸れるの。

罪悪感が苦しいのよ。
自分より立派な人が死んだのに、なんで私なんかが生きてるの?って。


そして、現実から目を背けたり、思い出に逃げたりね。
その罪悪感から解放されるには、自分で何か大切なものを見つけるしかないのよ。



そういう意味で、ロジェは本当によくできた作品だった。
だからこそ痛かったけど。


私もいつか、そういう話が書けたらいいなあ。
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