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2019-07

柔らかいヒーローの骨太な美学@仮面ライダージオウ(ビルド~ウィザード)

昔から「力を求める人」を描いた物語に強く惹かれた。

学生時代に読んだ、「とある科学の電磁砲」のレベルアッパー編。
超能力者を育てる学園都市で、無能力と診断された者が違法な手段で能力を身に着ける。
当然副作用もある。
ヒロインがレベルアッパー自体はぶっ潰すわけだが、レベルアッパーの使用者はそれだけでは救われない。
結局「能力なんかなくたって私を愛してくれる人はいるから」というような終わりだったように記憶している。
力を求める者の心の痛みに私は引き込まれたけれど、愛に救われるような終わりには納得しきれないものがあった。

まどか☆マギカシリーズ。
キュウべえに対価を支払って、魔法少女の力を得る少女たち。
しかし、その対価は魔女との闘いだけでは購えない。
人生丸ごと対価に差し出したようなものだ。
それでも、彼女たちにはかなえたい願いがあった。
もっと生きたい。
愛する人にチャンスを与えたい。
魔法少女という「手段」は、魔法の力で解決することは、もしかしたら間違っていたのかもしれないけれど。
それでも、自分の力ではどうすることもできない困難を前に、彼女たちは魔法少女の力にすがった。
彼女たちの「過ち」は大きな力によって赦された。

GUNSLINGER GIRLも、私にとっては「力を求めた者の過ちの物語」だ。
改造されサイボーグとして戦う少女たちの群像劇であり、本来の主役はあくまで少女たちだ。
けれど、その少女とバディ(フラテッロ)を組む大人たちにも物語がある。
彼らはテロや組織犯罪で愛する者や自らの誇りを失い、「担当官」として少女たちと戦う人生に身を投じた。
命を賭して戦うのは少女たち。
担当官である彼らは基本的に指揮官だ。
当然そこには葛藤がある。
少女たちの人生をゆがめた事、自分の復讐を自分でしていない事、復讐を完遂しても何も戻ってこない事。
最後まで彼らは命を奪い合う以外、生きる術を持つことができなかった。
この話は解決とかハッピーエンドではなく、静かに終わりを迎えた。



そして今年。
想定外なモノにハマった。
仮面ライダーだ。

きっかけはイケメンライダー俳優…ではなく。
テレビで偶然見た石ノ森章太郎の半生を描いたドラマ。
初代仮面ライダーの登場秘話。
009も全編ではないものの見ていて、その記憶もあり、再現ドラマもつい見入ってしまった。
初代仮面ライダーは望んでヒーローになった訳じゃなかった。
ヒーローとして育成された訳ですらない。
望まずして得てしまった力を、最大限「正しく」行使しようと足掻き続けたヒーロー。
…特撮に限らず、戦闘音の多いコンテンツが実は私は非常に苦手だ。
世代ど真ん中でありながら、ドラゴンボールをロクに知らないレベルで。
しかし、この仮面ライダーのコンセプトは私の好みど真ん中。


そして今年の仮面ライダー。
大魔王になる未来のある男と、それを阻止したい男が仮面ライダー。
そして、彼らが倒すのは「自分では超えられない壁」にぶち当たった人々。
その時現れたタイムジャッカーと契約し、歪んだライダーの力を得て「アナザーライダー」になった者たち。
大魔王になりうる男(主人公)はソウゴ。
ソウゴはまぁなんというか、王だ。
感情移入するには我々と構造が違いすぎる生き物だ。

一方、魔王化を止めに来た男、ゲイツは非常に現代の若者らしい男だ。
真面目で努力家で実力もあるが、道を誤った者には理解も共感も示さない。
アナザーライダーに対しては終始「断罪者」の立場を貫く。
なぜ彼らがアナザーライダーになるに至ったか、そこに想いを馳せることはない。
ゲイツは彼の本来の時間軸で魔王により仲間を失っている。
その憎しみに、アナザーライダー討伐という大義がガッチリと結びつき、もう一切の揺らぎを持たなくなっている。
この「正しさ」と「過ちを犯した弱者への振る舞い」は、今の若者そのものだと思う。
最近のニューストピックスでツイッターを検索してみれば、どのトピックスでも自己責任論の大合唱だ。
そういう若者とゲイツは非常に近しいメンタリティを持っている。
今の若者の感情移入を誘うキャラクター設定として見事としか言いようがない。

では、アナザーライダーはなぜそうなる事を選んだのか。
自分の人生をかけてきた競技を続けるため。
我が子の命を救うため。
死んだ恋人をよみがえらせるため。
想いを伝えられなかった想い人の夢と生きがいを守るため。
どれもこれも、自分の力ではどうしようもない願いばかり。

アナザーライダーとなってしまった事は、過ちだと言えるだろう。
抗えない運命に抗うため、自分の大切な人の命のためであっても、ろくに説明も聞かずに契約した。
その結果、たくさんの人を傷つけた、これは過ちとしか言いようがない。
でも、自分ならどうか。
私は間違いなく、アナザーライダーになる事を選ぶ。
自分の命のためならともかく、愛する人のためならば。
私が一番感情移入して見ているのは、ソウゴでもゲイツでもない。
アナザーライダーたちだ。

ソウゴはアナザーライダーの「理由」に寄り添う。
ある種の「未練」を成仏させてやろうとする。
ゲイツはただひたすらにアナザーライダーを叩き斬る。
それは、「王」と「市民」の差ともいえる。
同時に、ソウゴは本当に理解しがたいキャラだ。
私は、自分がアナザーライダーになったとして、ゲイツではなくソウゴに来てほしいと思うけれど。
とはいえソウゴの考えている事は1ミリも理解できない。
だって、彼は王だから。

そして、このソウゴ、特撮ファンというか仮面ライダーファンからは「らしくない」存在らしいのだ。
私は仮面ライダーを全く知らないで見ている、というか夏に見た再現ドラマの知識がすべてで、過去の「平成ライダー」は1作も見ていない。
しかし、ソウゴの持つ「魔王化するかもしれない揺らぎ」と「道を誤った者への共感」はドラマで知った「初代ライダーのコンセプト」にはピッタリ合致しているように見える。
ゲイツの方がよほどまっすぐなヒーロー像だろう、ツクヨミがヒロインらしいのかどうかはちょっとわからないが。

今年はどうも平成仮面ライダー的にはメモリアルイヤーらしい。
だから過去ライダーてんこ盛りのファンアイテムを作ろうとした、のか?
でも主役はヒーローらしいヒーローであるゲイツではなく、理解しがたい孤高の王ソウゴだ。

理由問わず加害者を断罪するヒーロー、ヒーローらしいヒーロー、ゲイツ。
その限界をふわっと超えていく、悪者に寄り添う、ライダーらしからぬライダー、ソウゴ。

ソウゴが主役であることでライダーファンからはバッシングもあるだろう。
しかし、制作側がソウゴが「らしくない」と分かっていないなんてありえないだろう。
という事は、ここに制作者の意図があるのではないか。
少なくとも私はそう思う。
「らしくない」ソウゴが主役で、「らしい」ゲイツには超えられない壁をソウゴが超えて行ってしまうのはなぜか。
長年のファンが離れるリスクを背負っててでも伝えたいメッセージ。

「ヒーローは裁くんじゃない、救い守る存在なんだ」
「力を裁くためだけに行使していては、根本的な解決はできない」
「人の性質は良い方にも悪い方にも転ぶ、始めから悪の権化な人なんていない」

言葉にすると陳腐だけれど。
今の若者たちにとって、アナザーライダーになるなんてまさに「自己責任」だろう。
ゲイツにぶった切られても文句は言えない。
けれど、ソウゴは違う選択をする。

2018年の日本は民主主義で「王」による統治は行われていない。
ゲイツ的正義が正しいとされるだろう。
あえてそれを覆す、メモリアルイヤーのファンアイテムで「らしくない」物を作る。
現代の若者の代弁者であるキャラクターを貶めず、同時に「限界」ははっきりと示す。
ヒーローらしさがない「柔らかい」ヒーローが主役。
それでいて、上記3つのメッセージは初代の、本当に初心のメッセージに思える。
「らしくない」パッケージに込められた神髄。
なんとカッコイイ美学なんだ。


今の世の中の「裁く側になりたい」と望む人の多い世の中で、この作品が今後どう評価されていくかはわからない。
でも「ヒーローは裁く存在じゃない」というメッセージは私にとっては希望の光だ。
「ソウゴを魔王にしない」事について、ゲイツは「ソウゴに力を持たせない」、ソウゴは「良き王になる」をゴールとしている事もわかった。
この発想の差もまさに今どきの若者と昭和のヒーローのようで面白い。
最終回でソウゴがどうなっているのか、楽しみだ。
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