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2018-11

奇跡に見えない奇跡@一年遅れの逃げ恥話

幸運の神様は前髪しか生えていない。
迷っていたら幸せはつかめない、という意の格言である。
しかし、古来から日本では女性の黒髪を愛でていたはず。
百人一首には後姿の姫もいるではないか。
「男の背中」だって、かっこよく描かれている作品はいくらでもある。
それでも、幸運の神様には前髪しかない。
ただの後ろ髪のハゲた爺さんか、本当の神様か。
その「賭け」に勝つという最小限の幸運がないと、幸せにはなれないのかもしれない。

しばらく前に流行ったドラマ、「逃げるは恥だが役に立つ」。
その主人公、星野源演じる平匡(ひらまさ)。
彼は前髪をつかむことに成功した男だ。

平匡は社会人としては優秀な、ある意味典型的な「恋の苦手な理系男子」「草食男子」といった風貌だ。
原作コミックよりドラマの方が人当たりが柔らかく見える気はするが、これはストーリーの違いというより星野源の持ち味だろう。
そんな平匡は日々仕事に生きていて、家事は家事代行サービスに頼んでいる。
家事代行サービスの会社を変えようとしたとき、みくりの父の推薦でヒロインのみくりが送り込まれてくる。
このみくりはドラマ版ではガッキーなので、そりゃあ可愛い。
しかし、別に平匡は可愛い子が来たからがっついた訳ではない。

なぜか、みくりは「平気」だった。

端的に言うとこういう事だ。
みくりは最初から特別だった。
理屈ではない、理由なんてわからない。
性が絡むような、欲からくるような、そんな熱でもない。
陳腐な言い方をすれば運命。
そして、平匡はそれに気付くことができた。

昨今は「コミュ力」だの「コミュ障」だの言う言葉が人口に膾炙している。
コミュニケーションは最後の「人の専売特許」だからだろう。
このコンピューターの進化した社会において、人が機械に勝てるものは減り続けている。
そして第三次産業従事者比率も年々上がっている。
もうコミュニケーション能力の差が、人としてての能力の差なのだ。

でも、私は改めて問いたい。
「コミュ力」って、なんだ?

例えば、スポーツ。
かのウサイン・ボルトだって水泳は大したことあるまい。
能力というものは1つの軸だけで語れない。
複数の能力の総合点であって、その計算法も足し算だったり掛け算だったり。
さらに種目が違えば、求められる能力も違う。


コミュニケーションも同じだ。
職種が、性別が、地位が、地域が違えば求められるコミュ力は違う。
平匡とみくりはコミュニケーションにおいて、全く別種の問題を抱えていた。

平匡に欠けていたのは「コミュニケーション欲」。
平匡にとって、恋人はどうしても必要な存在ではなかった。
だから結婚願望もなかった。
社会人としては優秀だから、会社では悪くない扱いを受けている。
徹底したお調子者や、全てを見透かすような老獪な古狸が何かと構ってきて、、程よい距離感で彼の周りには人がいた。
平匡から誰かにぶつかっていく必要のない日々。
このまま平坦な人生が続いていくはずだった。

一方、みくりの方がいわゆる「コミュ障」に近いだろう。
モテる女子のように振る舞えない。
社会が自分に対して求めるイメージを演じられない。
だからいい仕事がない。

そんな二人が出会った。
出会ってしまった。
このチャンスを逃せば平匡はもう誰かに深入りすることはできないかもしれない。
それほどの出会いだった。
平匡はそれに気づくことができた。
みくりは平匡にとっての「前髪しかない幸運の神様」だった。




私は平匡に共感した。
共感なんて綺麗なものではない。
見ていて息ができないぐらい、のめり込んだ。

私にとっての「前髪しかない幸運の神様」はお笑いだった。
「エッセイ」カテゴリをブログに開設してから私がずっと書いてきた「K」の物語。
これは私の人生を脚色したものだ。
私が仕事で行き詰っていた頃にお笑いに出会い、のめり込み、この世界に根を張るまでの物語。

私は自分の事を書くのが最も苦手だ。
だから「K」、朽葉(くちば)の頭文字というバレバレな形であってもフィクションの形をとった。
冷静な「未来の私」と共存させなければ書けなかった。
ここに来てそのパッケージを変えるのは、ようやく自分自身と向き合う覚悟をしたからである。

これは、私の半生の歴史だ。
面白くもなんともないだろうが、書かなければならなかった。
書かずにはいられなかった。
私が生きていくには、前に歩いていくには、これを書くしかなかった。






話のきっかけは小学生まで遡る。
私はいじめられっ子だった。
比較的のんびりした地域の、それも小学生のいじめだから、不登校になったり死を望む程のいじめではなかった。
しかし、このいじめで私という人間の土台にわずかながら歪みが生じたのも事実だ。
いじめのきっかけが良くなかった。
友達が少ないながら、本好きで成績のいい私は大人受けのいい子供だった。
褒めてもらえるから、居場所になるから、と私は学級委員を好んでやっていた。
学級崩壊という言葉が成立したかしないかの時代。
社会の変化についていけなくなった老いた元・名教師は、私にクラス内のトラブル解決に協力することを求めた。
思春期に差し掛かった年頃はただでさえ難しい。
運動は万年ビリで休み時間は本を読んでいるタイプで、しかも学級委員で教師から言われた事がきっかけでトラブルに首を突っ込んだ私。
いじめに遭うのは必然だった。
そんな私を見かねて両親は私に中学受験をさせた。

私はのびのびと中高時代を過ごした。
オタク気質の子とキャリアウーマン指向の子が共存する不思議な学校で、この学校生活には良い思い出が圧倒的に多い。
問題は家庭にあった。
私の両親は非常に「いい親」で、私は「恵まれていた」。
最先端の医療、最先端の治療を受けていたのだから。
当時の私の名前は「ADHD」。
まだ発達病院の診断、治療を受け入れている病院は数えるほどしかなかった時代。
名前ではなく診断名だろう、誤字ではないのか、とこれを読まれている人は思うだろう。
「名前」でいい、これは誤字ではない。
大人になって振り返ると、当時の私の担当医は医者として問題がありすぎる言動をする人だった。
とはいえ当時の私は無力な子供。
「コミュニケーションや感情の制御に問題がある」という医者のお墨付きがある子供。

私の叫びは誰にも届かない。
盗んだバイクで走り出したい年頃なのに、親への反抗は一切できない。
親が押さえつけるからではない。
親が壁にならないからだ。
思春期の反抗というのは、子供が親を超えて自立しようとして起きる衝突だ。
私の両親は私がぶつかろうとすると、馬跳びの馬のように丸くなってしまう。
私が両親を跳び越すと、その先には医者が待ち受けている。
私の激しい情動はADHDによるものだから、親が対応せず医者に診せる方が良い、という理論だ。
親にぶつかろうとすると、医者にぶつかってしまう。
私の「反抗期」は完全に行き場を失った。

医者は医者で私をもてあましていたことだろう。
当時、ADHDの治療は「子どもの障害」として日本に入ってきたばかり。
小児科は元から日本では15歳前後で卒業することが多い。
そんな状況で中学生の発達障害の治療など、まず前例がほとんどない。
だから元々ハードルの高い状況だった。
その上私は理屈っぽい本の虫でIQだけは高い。
「アメリカで使われてきた、子供向けの説明」は私にとっては、馬鹿にされ幼児扱いされているという感覚しか産まない。
当時、ADHDには今は投与できないとある薬が使われていた。
処方の際の説明の中で最もポピュラーなものは「メガネと同じで、苦手を補ってくれるものだよ、あなたがバカだから飲むんじゃないよ」というもの。
「メガネは目が悪い人がかけるものだが、私はIQが高い」と当時の私は反発した。
私はこの説明で納得できるほど子供ではなかった。
「頭全体が悪いわけではない」けれど「脳が苦手とする部分を薬で補う」という説明が通用する大人でもなかった。
中学生なのだから、そんなものだろう。




ここから私の迷走が始まる。
思春期の女子だ、対人トラブルなんて本来当たり前のことだ。
私もクラブ活動の派閥争いでもめた。
今思えば普通の女子中学生らしいトラブルだ。
詳細を書いても何も面白くないであろう、ごく普通のトラブル。
トラブルの最中とて私は普通に学校に行っていたし、学校に行きたくないとも思っていなかったし。
しかしADHDという名前のせいで、これだけのトラブルにカウンセリングが発生する。
ただの風邪に4種類の薬を二週間出します!という状態である。
こうして必要以上の薬が毒になっていく。

悪い事は重なるもので。
発達障害と診断される犯罪者が相次いだ。
元より発達障害は遺伝するとかしないとかモヤモヤとしていた状況でのことだ。
ここで、わずか15歳で結婚を諦めた、中二病をこじらせたようで、それより質の悪い何かが誕生する。

それでも時がは過ぎ、私も大学生になった。
大学時代、本当にもう笑えるくらいモテない。
受験太りを成人式までに解消しさらに痩せたが、それでもモテない。
正確に言うと、30代後半のオッサンにはモテるのだが、さすがにお付き合いは遠慮させていただきたい、と。
恋愛に夢いっぱいで、結婚にも夢を見てるか「遊びたいからまだまだ先かな」が一般的な年ごろである大学生。
しかし私はこの時既に結婚を諦めている。
そんな自棄を起こした女に寄って来るのはクズと相場が決まっている。
私のだめんず人生の始まりである。
パソコンが全世界になった私はサイトを作り、ブログとチャットと掲示板での交流に夢中になる。
大学時代にゼミの人以外でアドレス交換した相手はたった一人で、しかも彼女とはもう今は親交がない。

そんな私が二十歳で初めて恋をする。
ここで変われるのか?
答えはNOである。
私の初恋は彼氏に巣食った病魔に負けた。
その時託された言葉は私の中に今も生きている。
「好きなように生きろよ」
今も私が達成できない、人生の宿題として。





ベストセラーの「五体不満足」を覚えているだろうか?
「当事者が語る」ブームの到来の中で大学生を過ごした私は、発達障害当事者として学会などで語る機会を得た。
そこで始めて知る、「悪意よりも同情が怖い」という感情。
でも「理解してもらえなければ、まともに仕事もできずに人生詰む」と信じていた私は耐えた。
さらに時が過ぎ、私は「発達障害の専門家」として働くことになる。

この職場で私はどんどん歪んでいった。
シンプルに職場の水が合わなかった部分ももちろんある。
だが、それ以上に私の譲れないプライドが邪魔をした。
簡単に「A君はアスペっぽいね」などと口にする職員たちに私は耐えられなかった。
同意を求められた時、基本的には濁していたが、ある時ついに言ってしまった。
「私は専門家です、だから私は確固たる根拠もなしに障害かもとは言えない」
空気が変わった。
味方もいなかったわけではない。
けれど、味方より敵の方が職位が上では、限界があった。
そして大学時代からこの頃までの間に、私は仕事以外でも迷走し続けている。

「私を嫌っている人といる方が楽」
当時の私の言葉である。
医者が変わり、その過程でさらにこじらせた私は、自分を徹底的に信用していなかった。
「自分は嫌われている」を前提に行動する習慣が染みついていた。
私に対して好意的な人も「私を嫌いっているはず」なのだから、そういう相手と接するには「真意」を探り続けないといけない。
だからそういう相手との付き合いは重い負担になる。
罵倒されても心を凍らせるだけでいい、だから「私を嫌っている人といる方が楽」なのだ。
ここまでくると、彼氏ができないとかモテないというレベルではない。
モテたいという感情すら忘れていた。





その発言から半年後、私は下北で運命の出会いをする。
呼び込みの無料お笑いライブ。
私はもともとお笑い好きではあった。
受験勉強の合間の息抜きはお笑いのネタ番組を見ていた。
中でも「エンタの神様」が大好きだった。
それより前には落語や猿回しが大好きだったし、幼い頃は父の膝でバカ殿を見ていたはずだ。
ただ、そんなこと、働くうちに忘れていた。
呼びこまれたライブはとにかく楽しく、その日一番気に入った芸人を起点に通うライブを増やしていった。
その過程で更新を辞めていたブログも復活させた。
ライブ仲間もできた。

お笑いは私にとっての「前髪しかない幸運の神様」になった。


芸人たちは皆、私が忘れていたものを持っていた。
自分で凍らせ、いつしか凍らせたことすら忘れていた感情が溶けて溢れていく。
その間に仕事を辞めてフリーターとなっていた私は、ついに正気の沙汰ではない暴挙に出る。

お笑いライブに出てみたい。

エントリーのために資格など要らないライブは結構あるのだ。
やってやれない事はない。
私はこの時、芸人になろうとした訳ではなかった。
誰も、自分すらできないと思っていたことをやってみたかった。
二次創作メインとは言え、ネットに小説を上げ続けて10年。
ネタを書けないことはない、演技は一切できないが。
そこから2年。

その間に出会いと別れ、1つの恋を始めて終わらせた。
どんどん私の世界が広がって私が変わっていく中で、元彼は変わらない。
私が変わった分だけ溝ができていき、それは修復不能な亀裂となった。
恋が終わったぐらいで世界は変わらない。
でも、周りの私を見る目は確実に変わっていく。

お笑いライブを主催しないかという話が持ち上がった。
それは願ってもないチャンスで、私は必死で準備に勤しんだ。






お笑いライブに行くようになって以後、かなりマシにはなったが基本的に私は人とのかかわりが苦手だ。
自ら「閉じて」「凍らせて」いた期間が長すぎた。
ブログの中の「朽葉姐さん」としてなら、「オタクでコミュ障」はキャラで済む。
外で、オフラインで動こうとした時に、コミュ障キャラは何の言い訳にもならない。
だからライブのためのメールをさばくだけでも必死だ。
毎回20組ぐらいの芸人に声をかけ、彼らの都合や希望とのすり合わせを必要ととする事態も起きる。
自分自身もライブでステージにあがるし、受付スタッフもする。
日々、へとへとだ。
スポーツで言うなら、スタミナが決定的に足りない状態の私。
限界なんて、とっくに超えた。
だが、なぜか頑張れる。

お笑いは好きだ。
だけどそれだけではない。
最もいいタイミングでお笑いに出会い、最もいいタイミングでライブの話が来た。
幸運だった。
一瞬だけ、幸運の神様が私の前を通り過ぎた。
そして私はその前髪をつかむことができた。

でも、これは物語ではない。
私の、現実の、記録だ。
ハッピーエンドになんか到底たどり着けそうにない。

そうすぐには普通に生きてきた人に追いつけない。
出遅れた分を突然追いつけるなんて方法はない。
でも、私は絶望はしていない。
毎日の筋トレで少しずつ筋肉がついていくように、心だって少しずつ変わっていくものだから。
職場の飲み会に出るようになり、昼休みを職場の人と過ごすようになった。
面識のない芸人にライブ出演交渉のために話しかけに行く。
鳴らないのがデフォだった携帯に日々LINEの着信が入るようになる。
以前の私には考えられない変化だ。

全てが上手くいくわけではない。
冷凍して解凍した食材が全て美味しく食べられる訳ではないように、一度凍らせた心がすぐに元通りになるわけもない。
おそらく私は一生だめんずうぉーかーだろうと思うような「事件」もつい先日にあったばかりだ。
凍らせて、解凍して、食べられそうなものだけ選り分けて、残りを冷凍庫に再びしまい込む。
しまい込んだところで食べられるようになるわけではないけれど、ゴミとして出せる日までは凍らせておくのがベストなのだ。
パンドラの箱を開けて、最後に残ったものは希望。
最後に残った希望を抱きしめて、これから先も足掻いていくしかない。

前髪しかない幸運の神様の、唯一残った前髪が全て抜けるまでしがみついてやる。
私が這い上がるのと、神様が禿げあがるの、どちらが早いか。






人生にはきっと「変わるための唯一無二のチャンス」がどこかに落ちている。
そのチャンスをつかんだからと言って、必ずしも社会的に成功できる訳じゃない。
もっと内面の、ごく個人的な変化のチャンスだ。
もしかしたら、それは他人には見えないかもしれない、
人に言えないようなささやかな変化かもしれない。
それでも、自分の主観の中では人生が変わる。
そんな瞬間がきっと誰にでもある。
「逃げるは恥だが役に立つ」はそのチャンスをつかむことができた二人の物語だ。
ガッキーが可愛い、星野源がかっこいい。
それは事実だが、それだけであれほどのヒットはできない。
あのドラマがヒットしたのは、「誰にでも起きうる奇跡」の話だからだ。
そしてその奇跡を信じる心を希望と呼ぶのだろう。

私はこれから、私が希望をもらった世界で生きていく。
誰かの希望を作り出すために。
だから、もう逃げない。
これはカッコ悪いし面白くもない、だけれど本当の決意表明だ。

さぁ、今日も私はライブに行ってブログを書いて、メールを送る。
私の明日のために、誰かの希望のために。
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とにかく生のステージが好き。
お笑いメインに、芝居、宝塚と西へ東へ。

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