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2018-12

信じるために必要なこと@仮面ライダー平成ジェネレーションズFOREVER

この映画は「仮面ライダー平成ジェネレーションズFOREVER」というタイトルでわかる通り、平成の仮面ライダー大集合。
完全にファンアイテム。
私みたいな、にわかオブにわかの出る幕はない。
でもブログ書いちゃう。
だって面白かったから。


とはいえさすがに「今年しか見ていない」状態では全部は理解できてないし、ネタバレもしたくない。
だからあらすじはあんまり追わずに好き勝手書く。


この映画に貫かれてるテーマ。

「世界がどうあるかは、世界を見ている自分が決める」

そして、その過程で「自我の確立」がキーになってくる。
毎週テレビに出てるメインキャストでもライダーでもない人物としては、シンゴ、アタル、タイムジャッカーのティード。
とりあえずティードは倒さないと話が終わらないキャラ、とだけ説明して流す。
シンゴは説明するとネタバレを避けられないので、いったん飛ばす。


アタルについて語ろう。
彼はとある事情から親の愛情を受けられず、愛に飢え現実逃避を望んで生きてきた。
そんなアタルがある日「望みを具現化する力」を手にする。
その力を行使し、アタルは仮面ライダーに会いたいと願う。

そして並行世界だった筈の「仮面ライダーがフィクションの世界」と「ソウゴたちの世界」がつながった。
並行世界、タイムパラドックス(特異点)、ゴリッゴリのSFだ。
未就学児も映画館にいたんだが、あの子ら理解できるのか?
いやでもあの年齢でこのクオリティのSFに触れられるとか、将来楽しみしかないな、うらやましい。

最初は仮面ライダーが見られてただただ喜ぶアタル。
ところが、仮面ライダーって基本「悪者から市民を守るヒーロー」なんだよね。
悪者もどんどんわいてきちゃうのよ、仮面ライダーだけじゃなくて。
当然いろいろ被害も出始める。
事態はアタルにも、仮面ライダーを具現化した存在にもコントロール不能になった。
そこに現れるのがソウゴ達ジオウ世代と、戦兎達ビルド世代。
ジオウ世代とビルド世代が共闘しながらシンゴを守っていくうちに、物語の真相が見えてくる。

アタルの悲壮な叫び。
「仮面ライダーなんかいない、辛いとき仮面ライダーに助けを求めたけど、助けは来なかった」
戦兎は答える。
「ここにいる」
天才物理学者が、理屈じゃなく心で答える。
カラッポの自我を満たすため依存するのではなく。
自立した個人として信じて愛した時、仮面ライダーは確かにそこにいる。
向き合うには、自分で立って一歩距離を取らなければならない。
抱き着いたら見えない。

この戦いを通して、アタルは初めてアタルとして愛される。
自分が親に愛情を向けてもらえなかった原因、その人が自分に向けた愛情。
さらに。
自分の身勝手な望みで呼び出した仮面ライダーまでも、自分のために本気で闘ってくれる。
無償の愛、無条件の愛。
それがアタルを救う。

「愛する」とか「信じる」とか、そういうものを初めて肌で感じて。
依存するだけの自分を卒業して。
それができた時、仮面ライダーは存在する。
記憶の中に。
心の中に。
このシーン、本来のライダーファンはファンアイテムとしての粋な演出で大興奮してるんだけども、何も知らない私はそうはいかない。
でも、知らないからこそ、「記憶の中に生きている」って台詞が自分自身の経験にリンクして泣きそうになった。

シンゴも作中でどんどん強くなる。
逃げていたシンゴが敵に立ち向かった瞬間、鳥肌が立った。
作中で唯一成長しなかったティードは破滅する。

ティードは全てを仮面ライダーのせいにして、仮面ライダーのいない並行世界を作った。
けれどその箱庭は仮面ライダーを信じる気持ちによって風穴を開けられ、そしてティードは破滅した。

ラスボスに変身したティードを倒すバトルシーン。
過去作を一本も見てない私でも分かるよ。
全仮面ライダー大集合のカタルシス。
バイクの戦列。
ラスボスを倒して、砂ぼこりの中ズラっと並ぶライダーたち。
惜しげもなく出される決め台詞。
これはもう、何も知らなくても興奮する。

そしてラストシーン。
何気ない日常、おじさんとゲイツとツクヨミとソウゴのクリスマスパーティー。
仮面ライダーはどこにでもいる。
信じることが、愛することができれば。
信じて愛するために、自分の脚で立つことができれば。



アタルのせいで並行世界とつながった、と判明する前のわちゃわちゃしたコメディパートが愛おしいのも最後に書き添えておこう。
ツクヨミの異変にオロオロするゲイツが可愛すぎる。
可愛いけど…やっぱりまだ精神年齢中学生に届くかどうかって感じ。
ソウゴの弟感ある今が最高に可愛いんだけど、その未発達なメンタルってそれだけ未来の世界の過酷さを示してるからなあ。
ゲイツが成長してソウゴと対等にわちゃわちゃする姿に萌えたいと切望。



映画が終わった後出てきた「全ライダーの足型が円形に並べられたロゴ」がカッコ良すぎて、グッズを買いそうになったことを最後に報告して筆をおこう。
「買いそう」で終わった理由?グッズよりいつか出るであろうDVD買って、一年見終わった後復習するためだよ!
…ハマったな、コレ。
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寄り添う王と早送りの成長@仮面ライダージオウ(オーズ編~オウマジオウ編)

その後の仮面ライダー話。

オーズ編。
「アナザーライダーになる人間は根っからの悪者ではない」という、これまでの「柔らかいヒーロー像」をさらに強固にするエピソード。
今回のアナザーライダーは王国を作り王様になるという。
ソウゴは興味津々でゲイツが止めるのも聞かず王様のもとへ飛び込んでいく。
そこで見たものはソウゴが夢見るのとは全く違う独裁国家。
なので最後はゲイツと協力してアナザーを倒すわけだが。
今回のアナザーライダー、本来の時間軸では正当なライダーの力の行使者だ。
それが、タイミングがズレて、本来とは違う人物に導かれたせいでアナザーライダーとなってしまう。

「人にはいろんな面がある」

今回の「おじさん」の名言だ。
アナザーライダーもただの「悪者」じゃない。
彼自身の物語、彼自身の力がある。
時が満ちれば、良き指導者がいれば、彼はヒーローにもなれる。
アナザーライダーは決してただの「悪者」じゃない。
人間だ。
生の人間。
いろんな感情を抱えている、愛情も憎しみも慈しみも。
人の性質は多面的。
その性質が表に出てくる方法も、一つじゃない。
アナザーライダーは「悪いヤツ」だからアナザー化したわけじゃない。
ゲイツが「正しい」力の行使者でいられるのは、ゲイツ1人の力じゃない。

本来「仮面ライダーたる資質」を持ち得た男がアナザーライダー化してしまうのは、この作品全体に流れる「善悪観」を象徴している。

ストーリーをさらに広げているのはゲイツの変化だ。
ゲイツ自身はまだその事に気付いていないけれど。
でもここ数話のゲイツの持つ「揺らぎ」が大きくなってきた。
もともとゲイツは感情面は未発達な感じが否めない。
「兵士」というよりは「少年兵」だ、盲信的な部分も含めて。
そして、この「ゆらぎ」は次のガイム編で話を動かすカギとなる。




ガイム編。
ここでは精神世界的なものとの行き来、時間軸の歪みによるソウゴ分裂などの派手な作りの回だ。
ゲイツの「揺らぎ」はゲイツが抱えきれる範囲を超えて、そのためゲイツは一旦家出をする。
ここでやっとゲイツの精神年齢が小学校高学年に到達、って感じ。
さて、そんな時でも「おじさん」は全部受け止めてくれる。
本当、親の鑑だ。

精神世界的な所と現実世界に分断されたゲイツとソウゴ。
ゲイツはなんとかここから抜け出さないといけない。
そのために奔走するソウゴ。

ゲイツの「壁」は自我の揺らぎだ。
ソウゴを憎み切れなくなってきた、盲信的に信じていた「ソウゴが諸悪の根源でコイツさえ倒せば元の世界は幸せな世界になる」という信念に疑いが生じてきた。
戦いの中でのみ生きてきたゲイツに、ソウゴは「普通の少年」として普通に友人になろうとしたから。
ゲイツの心に空いた空洞に、ゲイツは気付き始めた。
でも、その穴をソウゴに埋めてもらうことは兵士としてのアイデンティティが許さない。
キャパオーバーだ。

ソウゴの「壁」はゲイツの(他者の)力を信じ切れていないこと。
だから自分だけで頑張ろうとし過ぎてしまう。
2人が分断され、それぞれで闘うしかなくなった時、「壁」がはっきりと目の前に立ちはだかる。

そしてその壁を派手に乗り越えるゲイツ。
少年漫画的な「成長」はゲイツの役割だ。

一方で、ソウゴも変わっていく。
「任せる」ことができなければ「王」になれないことに気付いたから。

少しだけ成長した2人は最後に家で向き合う。
素直になれないゲイツなりの最大限の「譲歩」が嬉しい。
この「和解」でなんとかゲイツの精神年齢は中学突入ぐらいか。
普通の成長の何倍もの速度で兵士から子供へ、子供から青年へ。
わずか数か月で、普通の人生の数年分を生きる。
この成長速度は相当しんどいだろう。
ゲイツの葛藤は察して余りある。
けれど、苦しくても辛くても、「奪われたもの」を取り返す過程だから。
意味のある痛みだから。
なんとか乗り越えて、兵士じゃなくて人になって。
そう祈らずにいられない。




ゴースト編。
これがまた…
今回のアナザーライダーは事故死した警察官。
妹をかばって死んだところをタイムジャッカーに目をつけられアナザーライダー化。
彼は「自我のあるアナザーライダー」だ。
アナザーフォーゼも自我はあったが、アナザーゴーストはさらに一歩進んで「自身の正義に従って殺す相手を選ぶアナザーライダー」。
彼の行動原理は「正義」なんだ。
未来で事故を起こす人間を、事故を起こす前に殺してしまおうというのがアナザーゴーストの行動原理。
「もう俺みたいな人間は増やさない」的な思いなのだろう。
独善的だけど。
「加害者」にもいる、彼を大切に思う人の事は丸ごと抜け落ちているけれど。
アナザーゴーストはあくまで「正義の鉄槌」を振り下ろしている。

この「独善的な正義」もソウゴは断罪しない。
過去を改変し、警察官ごと救おうとする。
彼は王様だから、誰も見捨てはしない。
こういう「寄り添う視点」はソウゴならではで。
やっぱり彼は「王」なんだな、と思う。

ここで出てくるラスボス感満載な男、仮面ライダーディケイド。
しかし彼の意図はまだ全くわからない。
行動原理は不明だけども、ディケイドから渡された武器は強い。
過去のライダーの力の再現度がグンと上がった。
バトルシーン的にはかなりの進歩。

そして、この3エピソードで気になるのがウォズの発言。
「ゲイツはジオウの覇道に関係ない」
つまり、ジオウの完成には「仮面ライダー全ての力」が必要だがその中にゲイツは含まれない。
ゲイツは本名そのままライダーとしての名前になっていることも気になる。
ゲイツは他の「平成ライダー」とは違う、ジオウへの対抗勢力が作った後発の「作られたライダー」だ。
ウォズはアナザーライダーを作るタイムジャッカーとも昔なじみの様子。

…ゲイツが暴走しアナザー化、アナザーゲイツが真のラスボスとかありそうで怖いな。
そしてアナザーゲイツを取り込むことで力が安定してジオウは良き魔王になれるとか。



それを思いついた原因が次の「オウマジオウ編」。
未来のジオウのビジュアルがなんというか、アナザーライダーっぽいんだよね。
何かのきっかけで不安定な力がアナザー化したソウゴ、的な。
スターウォーズのアナキンからのダース・ベイダー的なことよ。

何がきっかけはわからないけれど、ソウゴに抱えきれないほどの絶望がソウゴを襲い、アナザー化した結果が世界の滅亡。
そう考えれば辻褄はあう。
その「絶望」のきっかけがゲイツだったりすれば、タイムパラドックスとかいろいろ面白くなりそう。

このオウマジオウ編ではソウゴは王様になる夢をあきらめかける。
どうやっても「悪い魔王」にしかなれないなら、そもそも王になる事をあきらめるしかないじゃないか、と。
それを止めるのはゲイツだ。
ゲイツに芽生え始めた自我が、ゲイツの意志が、ソウゴに寄り添うことを選んだ。
ゲイツが「選ぶ」ようになったこと。
これがこの後どう転ぶのか、楽しみで仕方ない。


ゲイツとソウゴ、肉体年齢はゲイツが上だけど、二人の関係性はソウゴが兄でゲイツが弟のよう。
普通に近所の幼馴染として彼らが出会えていたら、と思わずにいられない。
この関係性が長く続いて、少しでもゲイツが人として大人になってから、最終決戦に行けたらいいなと思う。
その方がきっとゲイツは強くなっているから。
ジオウがよき魔王になった後の世界では「兵士」のアイデンティティだけでは生きづらいだろうから。
2人のライダーがお互いに与える影響が深くて、目が離せない。

柔らかいヒーローの骨太な美学@仮面ライダージオウ(ビルド~ウィザード)

昔から「力を求める人」を描いた物語に強く惹かれた。

学生時代に読んだ、「とある科学の電磁砲」のレベルアッパー編。
超能力者を育てる学園都市で、無能力と診断された者が違法な手段で能力を身に着ける。
当然副作用もある。
ヒロインがレベルアッパー自体はぶっ潰すわけだが、レベルアッパーの使用者はそれだけでは救われない。
結局「能力なんかなくたって私を愛してくれる人はいるから」というような終わりだったように記憶している。
力を求める者の心の痛みに私は引き込まれたけれど、愛に救われるような終わりには納得しきれないものがあった。

まどか☆マギカシリーズ。
キュウべえに対価を支払って、魔法少女の力を得る少女たち。
しかし、その対価は魔女との闘いだけでは購えない。
人生丸ごと対価に差し出したようなものだ。
それでも、彼女たちにはかなえたい願いがあった。
もっと生きたい。
愛する人にチャンスを与えたい。
魔法少女という「手段」は、魔法の力で解決することは、もしかしたら間違っていたのかもしれないけれど。
それでも、自分の力ではどうすることもできない困難を前に、彼女たちは魔法少女の力にすがった。
彼女たちの「過ち」は大きな力によって赦された。

GUNSLINGER GIRLも、私にとっては「力を求めた者の過ちの物語」だ。
改造されサイボーグとして戦う少女たちの群像劇であり、本来の主役はあくまで少女たちだ。
けれど、その少女とバディ(フラテッロ)を組む大人たちにも物語がある。
彼らはテロや組織犯罪で愛する者や自らの誇りを失い、「担当官」として少女たちと戦う人生に身を投じた。
命を賭して戦うのは少女たち。
担当官である彼らは基本的に指揮官だ。
当然そこには葛藤がある。
少女たちの人生をゆがめた事、自分の復讐を自分でしていない事、復讐を完遂しても何も戻ってこない事。
最後まで彼らは命を奪い合う以外、生きる術を持つことができなかった。
この話は解決とかハッピーエンドではなく、静かに終わりを迎えた。



そして今年。
想定外なモノにハマった。
仮面ライダーだ。

きっかけはイケメンライダー俳優…ではなく。
テレビで偶然見た石ノ森章太郎の半生を描いたドラマ。
初代仮面ライダーの登場秘話。
009も全編ではないものの見ていて、その記憶もあり、再現ドラマもつい見入ってしまった。
初代仮面ライダーは望んでヒーローになった訳じゃなかった。
ヒーローとして育成された訳ですらない。
望まずして得てしまった力を、最大限「正しく」行使しようと足掻き続けたヒーロー。
…特撮に限らず、戦闘音の多いコンテンツが実は私は非常に苦手だ。
世代ど真ん中でありながら、ドラゴンボールをロクに知らないレベルで。
しかし、この仮面ライダーのコンセプトは私の好みど真ん中。


そして今年の仮面ライダー。
大魔王になる未来のある男と、それを阻止したい男が仮面ライダー。
そして、彼らが倒すのは「自分では超えられない壁」にぶち当たった人々。
その時現れたタイムジャッカーと契約し、歪んだライダーの力を得て「アナザーライダー」になった者たち。
大魔王になりうる男(主人公)はソウゴ。
ソウゴはまぁなんというか、王だ。
感情移入するには我々と構造が違いすぎる生き物だ。

一方、魔王化を止めに来た男、ゲイツは非常に現代の若者らしい男だ。
真面目で努力家で実力もあるが、道を誤った者には理解も共感も示さない。
アナザーライダーに対しては終始「断罪者」の立場を貫く。
なぜ彼らがアナザーライダーになるに至ったか、そこに想いを馳せることはない。
ゲイツは彼の本来の時間軸で魔王により仲間を失っている。
その憎しみに、アナザーライダー討伐という大義がガッチリと結びつき、もう一切の揺らぎを持たなくなっている。
この「正しさ」と「過ちを犯した弱者への振る舞い」は、今の若者そのものだと思う。
最近のニューストピックスでツイッターを検索してみれば、どのトピックスでも自己責任論の大合唱だ。
そういう若者とゲイツは非常に近しいメンタリティを持っている。
今の若者の感情移入を誘うキャラクター設定として見事としか言いようがない。

では、アナザーライダーはなぜそうなる事を選んだのか。
自分の人生をかけてきた競技を続けるため。
我が子の命を救うため。
死んだ恋人をよみがえらせるため。
想いを伝えられなかった想い人の夢と生きがいを守るため。
どれもこれも、自分の力ではどうしようもない願いばかり。

アナザーライダーとなってしまった事は、過ちだと言えるだろう。
抗えない運命に抗うため、自分の大切な人の命のためであっても、ろくに説明も聞かずに契約した。
その結果、たくさんの人を傷つけた、これは過ちとしか言いようがない。
でも、自分ならどうか。
私は間違いなく、アナザーライダーになる事を選ぶ。
自分の命のためならともかく、愛する人のためならば。
私が一番感情移入して見ているのは、ソウゴでもゲイツでもない。
アナザーライダーたちだ。

ソウゴはアナザーライダーの「理由」に寄り添う。
ある種の「未練」を成仏させてやろうとする。
ゲイツはただひたすらにアナザーライダーを叩き斬る。
それは、「王」と「市民」の差ともいえる。
同時に、ソウゴは本当に理解しがたいキャラだ。
私は、自分がアナザーライダーになったとして、ゲイツではなくソウゴに来てほしいと思うけれど。
とはいえソウゴの考えている事は1ミリも理解できない。
だって、彼は王だから。

そして、このソウゴ、特撮ファンというか仮面ライダーファンからは「らしくない」存在らしいのだ。
私は仮面ライダーを全く知らないで見ている、というか夏に見た再現ドラマの知識がすべてで、過去の「平成ライダー」は1作も見ていない。
しかし、ソウゴの持つ「魔王化するかもしれない揺らぎ」と「道を誤った者への共感」はドラマで知った「初代ライダーのコンセプト」にはピッタリ合致しているように見える。
ゲイツの方がよほどまっすぐなヒーロー像だろう、ツクヨミがヒロインらしいのかどうかはちょっとわからないが。

今年はどうも平成仮面ライダー的にはメモリアルイヤーらしい。
だから過去ライダーてんこ盛りのファンアイテムを作ろうとした、のか?
でも主役はヒーローらしいヒーローであるゲイツではなく、理解しがたい孤高の王ソウゴだ。

理由問わず加害者を断罪するヒーロー、ヒーローらしいヒーロー、ゲイツ。
その限界をふわっと超えていく、悪者に寄り添う、ライダーらしからぬライダー、ソウゴ。

ソウゴが主役であることでライダーファンからはバッシングもあるだろう。
しかし、制作側がソウゴが「らしくない」と分かっていないなんてありえないだろう。
という事は、ここに制作者の意図があるのではないか。
少なくとも私はそう思う。
「らしくない」ソウゴが主役で、「らしい」ゲイツには超えられない壁をソウゴが超えて行ってしまうのはなぜか。
長年のファンが離れるリスクを背負っててでも伝えたいメッセージ。

「ヒーローは裁くんじゃない、救い守る存在なんだ」
「力を裁くためだけに行使していては、根本的な解決はできない」
「人の性質は良い方にも悪い方にも転ぶ、始めから悪の権化な人なんていない」

言葉にすると陳腐だけれど。
今の若者たちにとって、アナザーライダーになるなんてまさに「自己責任」だろう。
ゲイツにぶった切られても文句は言えない。
けれど、ソウゴは違う選択をする。

2018年の日本は民主主義で「王」による統治は行われていない。
ゲイツ的正義が正しいとされるだろう。
あえてそれを覆す、メモリアルイヤーのファンアイテムで「らしくない」物を作る。
現代の若者の代弁者であるキャラクターを貶めず、同時に「限界」ははっきりと示す。
ヒーローらしさがない「柔らかい」ヒーローが主役。
それでいて、上記3つのメッセージは初代の、本当に初心のメッセージに思える。
「らしくない」パッケージに込められた神髄。
なんとカッコイイ美学なんだ。


今の世の中の「裁く側になりたい」と望む人の多い世の中で、この作品が今後どう評価されていくかはわからない。
でも「ヒーローは裁く存在じゃない」というメッセージは私にとっては希望の光だ。
「ソウゴを魔王にしない」事について、ゲイツは「ソウゴに力を持たせない」、ソウゴは「良き王になる」をゴールとしている事もわかった。
この発想の差もまさに今どきの若者と昭和のヒーローのようで面白い。
最終回でソウゴがどうなっているのか、楽しみだ。

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プロフィール

朽葉

Author:朽葉
このページの管理者、朽葉。
とにかく生のステージが好き。
お笑いメインに、芝居、宝塚と西へ東へ。

朽葉姐さんとコンタクトを取りたい方はツイッターID「renrenren12」へ。
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