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2019-12

愛と孤独と才能と@ボヘミアン・ラプソディ

何年前だろうか、小学生の頃、音楽の授業で「モーツァルトの才能に嫉妬したサリエリがモーツァルトを殺す映画」を見た。
そこに出てくるモーツァルトは不作法でバカで先輩であるサリエリに敬意のカケラも示さない非常識な男。
なのに音楽の神が選んだのはサリエリでなくモーツァルトで、音楽の才能だけは持っていた。
そのアンバランスさから目が離せなかった。

その何年か後、舞台の「モーツァルト!」を見た。
この作品ではモーツァルトは大人のヴォルフガング(通称ヴォルフ)と、子供のアマデウス(通称アマデ)に分裂していた。
正確には、ヴォルフの中にはいくつになっても子供のままのアマデが同居していた。
そして音楽の才能は本質的はヴォルフのものではなく、アマデとの異常な共存なしには存在しないものだった。
アマデが才能の具現化、というとそれはまた違う気がするので、説明が難しい。
とにかく大人のヴォルフは音楽家としての自分、一人の男としての自分として生きようとする。
そこにアマデがいることで歪が起きる。
アマデはヴォルフの中にいるけれど、ヴォルフの「一部」かと言うとそれも違う。
でもヴォルフの才能はヴォルフのみで制御できるものではなく、ヴォルフはアマデに徹底的に振り回される。
アマデを演じるているのは10才かそこらの子役なのだけど、彼らが本当ぞっとするほど研ぎ澄まされた表情をしている。
無垢。
そして、無垢だからこそ欲望に制御がない。
才能のままに作りたい。
それがヴォルフの「生活」を破壊するとしても。
作ることを邪魔するなら、アマデはヴォルフにすら牙をむく。
ヴォルフはアマデから自由になれない。
でもアマデを切り離せても、それはもうヴォルフじゃない。
才能が、人を振りまわし蝕んで、侵食して、ヤドリギのように絡み合っていく。



このボヘミアン・ラプソディもそういう話だ。
フレディ・マーキュリーは天才だ。
それはもう異論のない話だろう。
フレディはマイノリティだ。
それは民族的な事でもあり、セクシュアリティの話でもあり。
家族の輪の中ですらも、彼はマイノリティだった。
その「人の輪の中の孤独」はフレディの才能の餌となって、才能は大きく育った。
育った才能は、前以上に餌を必要とするようになった。
だから才能はフレディが孤独になるように、悪魔と取引をした。

もちろん実際の映画に才能の具現化した存在など出てこないし、悪魔だって出てこない。
最後にはフレディは再びQUEENの中に戻っていくし、「孤独」だけが彼の人生ではない。
けれど、才能に振り回され、家族を求めながら孤独へ孤独へ突っ走っていく様は、ついこんな詩的な表現にしたくなる。

フレディはバンドを、バンドメンバーを愛していた。
彼らと音楽をする時間を愛し、彼らと歌う曲を作る事を愛した。
けれど、才能はフレディが彼の才能を「QUEEN仕様」にする事が気に入らなかったのじゃないか。
フレディの中で「QUEENを愛する人としてのフレディ」と「音楽の天才としてのフレディ」は分裂してしまっていたんだろう。
QUEENと音楽は、本来フレディにとっても不可分なものだったのに。

フレディは愛を、肯定を、求め続けた。
お金を得て彼がしたことは、お金を使って肯定を集める事。
でもそうやって集めた肯定は本物ではなかった。
どんどん深みにハマっていくフレディ。
仕事仲間にも騙され、結婚しても自分のセクシュアリティに気付いてしまって上手くいかない。




フレディと一度は結婚する女性、メアリー。
史実が何割反映されているかはおいておいて、彼女との関係にこそフレディの孤独の深さが現れている。
付き合う前、メアリーは服屋の店員。
フレディにレディースも混ぜたコーディネートをして、「あなたのスタイル素敵よ」という。
フレディの中にある「セクシュアリティの揺らぎ」をメアリーは意図せず肯定してしまった。
そこから始まる「恋のようなもの」。
成功して指輪を贈って、家を建てて…
けれどある日フレディは気付いていしまう。
男に対して性的な目で見てしまう自分を。
でもメアリーが嫌な訳じゃない。
だからフレディは自分を「ゲイ」ではなく「バイ」と表現する。
それに対してメアリーは「あなた、ゲイよ」と返す。

メアリーにとってフレディの愛は「親に肯定を求める子供の愛」でしかなかったんだろうなあ。
そして台詞を見る限りメアリーはその手のだめんずを引き寄せるタイプらしい。

そして始まる奇妙な生活。
フレディはメアリーの家と自分の家を隣同士で建てた。
フレディの仕事部屋とメアリーの寝室は窓が近くて、スタンドのオンオフが見える。
そんな合図を何度もメアリーにやらせて無邪気に笑うフレディ。

このフレディの「無垢」が痛い。
フレディにとって、愛は愛なんだ。
その愛がセクシャルな欲を伴うかどうかは本質じゃない。
でも、恋人ならば夫婦ならば、その「愛にセクシャルな意味を伴うか」は大事な問題だ。
メアリーはフレディの未分化だけど無垢な愛ではなく、大人同士の清濁併せ持ちつつしっかり意味を自覚した愛を求めた。
身も蓋もない言い方をするなら、「私はアンタのお母さんじゃない!」ってわけだ。
家事とかそういう意味での「お母さんじゃない」ならまだ乗り越えようもあるけれど、愛の形としての「お母さんじゃない」は根深い。
しかも気付いているのはメアリーだけで、フレディは分かっていないから。

メアリーの「あなた、ゲイよ」は「あなたが私に求めているのは赤ん坊が母親に求める無条件の肯定という形の愛であって、恋人同士のセクシャルな愛ではない」って事を突き付ける台詞で、胸が痛かった。


そしてアメリカだなあと思った事。
ラストシーンの後、本物のフレディの半生の写真も出てくるんだが、そこにフレディの最期を看取った恋人のジム・ハットンも出ている。
映画の中でもガッツリとフレディとジムはキスしてます。
腐女子がキャーキャー言うような、コンテンツとしてのBLではない、マイノリティでも迫害されてもそうせずにいられない愛がそこにあった。
フレディとジムのキスは作品として必要だった、と思う。
あれを見て初めて「同性を愛する」という事が彼らの人生にどう影響したかを実感できたような気がする。

ライブ・エイド前に、フレディはジムと実家に行く。
ジと家族でお茶をする。
彼らは自分たちが恋人なんて言わない。
「友達」と紹介する。
けれど、母親は気付いている。
フレディが言いにくい言葉をしぼりだそうとする時、ソファのひじ掛けの上で合わさる二人の手に。



ストーリーと絡み合いながら流れるQUEENの音楽が予想通り素晴らしい。
特にウィーウィルロックユー制作シーンとクライマックスのライブ・エイド。
ウィーウィルロックユーの和訳歌詞がどうにもダサいのはご愛嬌。

タイトルにもなっているボヘミアンラプソディ。
作曲シーンのフレディの表情がたまらない。
数分のシーンなのに、彼の葛藤が全て伝わってくる。
周囲が自分に求めているもの。
自分が本当に求めているもの。
自分でもそれを望んでいるかわからないけど自分を突き動かす何か。


この映画は全てが史実という訳じゃない。
私も事前にドキュメンタリー番組とか見て事実と映画の比較とか予習したし。
でもフィクションを織り込んだことで、「才能に振り回され孤独と戦いながら愛を求める無垢な魂」というフレディ像がクッキリ立ち上がってくる。


最後に、私はこれは休日の朝イチに音響の良い大きな映画館で見た。
いい音で、大画面で、でも静かに見たかったの。
応援上映?爆音上映?好きな人もそれはそれでいい思う。
QUEENの音楽を全力で楽しむのもいいと思うし、それだけでも充分楽しめるぐらい音楽がイイ。
でも私派まずはフレディの生きざまを見たかった。
大人になってから何回か引っ越して毎回荷物を減らしてもQUEENのアルバムはずっと持ってるぐらいQUEENが好きだから。
最後の本物の写真に想定外の揺さぶられ方はしたけど、それもよかった。
さてもう一回アルバムを聞こう。
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信じるために必要なこと@仮面ライダー平成ジェネレーションズFOREVER

この映画は「仮面ライダー平成ジェネレーションズFOREVER」というタイトルでわかる通り、平成の仮面ライダー大集合。
完全にファンアイテム。
私みたいな、にわかオブにわかの出る幕はない。
でもブログ書いちゃう。
だって面白かったから。


とはいえさすがに「今年しか見ていない」状態では全部は理解できてないし、ネタバレもしたくない。
だからあらすじはあんまり追わずに好き勝手書く。


この映画に貫かれてるテーマ。

「世界がどうあるかは、世界を見ている自分が決める」

そして、その過程で「自我の確立」がキーになってくる。
毎週テレビに出てるメインキャストでもライダーでもない人物としては、シンゴ、アタル、タイムジャッカーのティード。
とりあえずティードは倒さないと話が終わらないキャラ、とだけ説明して流す。
シンゴは説明するとネタバレを避けられないので、いったん飛ばす。


アタルについて語ろう。
彼はとある事情から親の愛情を受けられず、愛に飢え現実逃避を望んで生きてきた。
そんなアタルがある日「望みを具現化する力」を手にする。
その力を行使し、アタルは仮面ライダーに会いたいと願う。

そして並行世界だった筈の「仮面ライダーがフィクションの世界」と「ソウゴたちの世界」がつながった。
並行世界、タイムパラドックス(特異点)、ゴリッゴリのSFだ。
未就学児も映画館にいたんだが、あの子ら理解できるのか?
いやでもあの年齢でこのクオリティのSFに触れられるとか、将来楽しみしかないな、うらやましい。

最初は仮面ライダーが見られてただただ喜ぶアタル。
ところが、仮面ライダーって基本「悪者から市民を守るヒーロー」なんだよね。
悪者もどんどんわいてきちゃうのよ、仮面ライダーだけじゃなくて。
当然いろいろ被害も出始める。
事態はアタルにも、仮面ライダーを具現化した存在にもコントロール不能になった。
そこに現れるのがソウゴ達ジオウ世代と、戦兎達ビルド世代。
ジオウ世代とビルド世代が共闘しながらシンゴを守っていくうちに、物語の真相が見えてくる。

アタルの悲壮な叫び。
「仮面ライダーなんかいない、辛いとき仮面ライダーに助けを求めたけど、助けは来なかった」
戦兎は答える。
「ここにいる」
天才物理学者が、理屈じゃなく心で答える。
カラッポの自我を満たすため依存するのではなく。
自立した個人として信じて愛した時、仮面ライダーは確かにそこにいる。
向き合うには、自分で立って一歩距離を取らなければならない。
抱き着いたら見えない。

この戦いを通して、アタルは初めてアタルとして愛される。
自分が親に愛情を向けてもらえなかった原因、その人が自分に向けた愛情。
さらに。
自分の身勝手な望みで呼び出した仮面ライダーまでも、自分のために本気で闘ってくれる。
無償の愛、無条件の愛。
それがアタルを救う。

「愛する」とか「信じる」とか、そういうものを初めて肌で感じて。
依存するだけの自分を卒業して。
それができた時、仮面ライダーは存在する。
記憶の中に。
心の中に。
このシーン、本来のライダーファンはファンアイテムとしての粋な演出で大興奮してるんだけども、何も知らない私はそうはいかない。
でも、知らないからこそ、「記憶の中に生きている」って台詞が自分自身の経験にリンクして泣きそうになった。

シンゴも作中でどんどん強くなる。
逃げていたシンゴが敵に立ち向かった瞬間、鳥肌が立った。
作中で唯一成長しなかったティードは破滅する。

ティードは全てを仮面ライダーのせいにして、仮面ライダーのいない並行世界を作った。
けれどその箱庭は仮面ライダーを信じる気持ちによって風穴を開けられ、そしてティードは破滅した。

ラスボスに変身したティードを倒すバトルシーン。
過去作を一本も見てない私でも分かるよ。
全仮面ライダー大集合のカタルシス。
バイクの戦列。
ラスボスを倒して、砂ぼこりの中ズラっと並ぶライダーたち。
惜しげもなく出される決め台詞。
これはもう、何も知らなくても興奮する。

そしてラストシーン。
何気ない日常、おじさんとゲイツとツクヨミとソウゴのクリスマスパーティー。
仮面ライダーはどこにでもいる。
信じることが、愛することができれば。
信じて愛するために、自分の脚で立つことができれば。



アタルのせいで並行世界とつながった、と判明する前のわちゃわちゃしたコメディパートが愛おしいのも最後に書き添えておこう。
ツクヨミの異変にオロオロするゲイツが可愛すぎる。
可愛いけど…やっぱりまだ精神年齢中学生に届くかどうかって感じ。
ソウゴの弟感ある今が最高に可愛いんだけど、その未発達なメンタルってそれだけ未来の世界の過酷さを示してるからなあ。
ゲイツが成長してソウゴと対等にわちゃわちゃする姿に萌えたいと切望。



映画が終わった後出てきた「全ライダーの足型が円形に並べられたロゴ」がカッコ良すぎて、グッズを買いそうになったことを最後に報告して筆をおこう。
「買いそう」で終わった理由?グッズよりいつか出るであろうDVD買って、一年見終わった後復習するためだよ!
…ハマったな、コレ。

寄り添う王と早送りの成長@仮面ライダージオウ(オーズ編~オウマジオウ編)

その後の仮面ライダー話。

オーズ編。
「アナザーライダーになる人間は根っからの悪者ではない」という、これまでの「柔らかいヒーロー像」をさらに強固にするエピソード。
今回のアナザーライダーは王国を作り王様になるという。
ソウゴは興味津々でゲイツが止めるのも聞かず王様のもとへ飛び込んでいく。
そこで見たものはソウゴが夢見るのとは全く違う独裁国家。
なので最後はゲイツと協力してアナザーを倒すわけだが。
今回のアナザーライダー、本来の時間軸では正当なライダーの力の行使者だ。
それが、タイミングがズレて、本来とは違う人物に導かれたせいでアナザーライダーとなってしまう。

「人にはいろんな面がある」

今回の「おじさん」の名言だ。
アナザーライダーもただの「悪者」じゃない。
彼自身の物語、彼自身の力がある。
時が満ちれば、良き指導者がいれば、彼はヒーローにもなれる。
アナザーライダーは決してただの「悪者」じゃない。
人間だ。
生の人間。
いろんな感情を抱えている、愛情も憎しみも慈しみも。
人の性質は多面的。
その性質が表に出てくる方法も、一つじゃない。
アナザーライダーは「悪いヤツ」だからアナザー化したわけじゃない。
ゲイツが「正しい」力の行使者でいられるのは、ゲイツ1人の力じゃない。

本来「仮面ライダーたる資質」を持ち得た男がアナザーライダー化してしまうのは、この作品全体に流れる「善悪観」を象徴している。

ストーリーをさらに広げているのはゲイツの変化だ。
ゲイツ自身はまだその事に気付いていないけれど。
でもここ数話のゲイツの持つ「揺らぎ」が大きくなってきた。
もともとゲイツは感情面は未発達な感じが否めない。
「兵士」というよりは「少年兵」だ、盲信的な部分も含めて。
そして、この「ゆらぎ」は次のガイム編で話を動かすカギとなる。




ガイム編。
ここでは精神世界的なものとの行き来、時間軸の歪みによるソウゴ分裂などの派手な作りの回だ。
ゲイツの「揺らぎ」はゲイツが抱えきれる範囲を超えて、そのためゲイツは一旦家出をする。
ここでやっとゲイツの精神年齢が小学校高学年に到達、って感じ。
さて、そんな時でも「おじさん」は全部受け止めてくれる。
本当、親の鑑だ。

精神世界的な所と現実世界に分断されたゲイツとソウゴ。
ゲイツはなんとかここから抜け出さないといけない。
そのために奔走するソウゴ。

ゲイツの「壁」は自我の揺らぎだ。
ソウゴを憎み切れなくなってきた、盲信的に信じていた「ソウゴが諸悪の根源でコイツさえ倒せば元の世界は幸せな世界になる」という信念に疑いが生じてきた。
戦いの中でのみ生きてきたゲイツに、ソウゴは「普通の少年」として普通に友人になろうとしたから。
ゲイツの心に空いた空洞に、ゲイツは気付き始めた。
でも、その穴をソウゴに埋めてもらうことは兵士としてのアイデンティティが許さない。
キャパオーバーだ。

ソウゴの「壁」はゲイツの(他者の)力を信じ切れていないこと。
だから自分だけで頑張ろうとし過ぎてしまう。
2人が分断され、それぞれで闘うしかなくなった時、「壁」がはっきりと目の前に立ちはだかる。

そしてその壁を派手に乗り越えるゲイツ。
少年漫画的な「成長」はゲイツの役割だ。

一方で、ソウゴも変わっていく。
「任せる」ことができなければ「王」になれないことに気付いたから。

少しだけ成長した2人は最後に家で向き合う。
素直になれないゲイツなりの最大限の「譲歩」が嬉しい。
この「和解」でなんとかゲイツの精神年齢は中学突入ぐらいか。
普通の成長の何倍もの速度で兵士から子供へ、子供から青年へ。
わずか数か月で、普通の人生の数年分を生きる。
この成長速度は相当しんどいだろう。
ゲイツの葛藤は察して余りある。
けれど、苦しくても辛くても、「奪われたもの」を取り返す過程だから。
意味のある痛みだから。
なんとか乗り越えて、兵士じゃなくて人になって。
そう祈らずにいられない。




ゴースト編。
これがまた…
今回のアナザーライダーは事故死した警察官。
妹をかばって死んだところをタイムジャッカーに目をつけられアナザーライダー化。
彼は「自我のあるアナザーライダー」だ。
アナザーフォーゼも自我はあったが、アナザーゴーストはさらに一歩進んで「自身の正義に従って殺す相手を選ぶアナザーライダー」。
彼の行動原理は「正義」なんだ。
未来で事故を起こす人間を、事故を起こす前に殺してしまおうというのがアナザーゴーストの行動原理。
「もう俺みたいな人間は増やさない」的な思いなのだろう。
独善的だけど。
「加害者」にもいる、彼を大切に思う人の事は丸ごと抜け落ちているけれど。
アナザーゴーストはあくまで「正義の鉄槌」を振り下ろしている。

この「独善的な正義」もソウゴは断罪しない。
過去を改変し、警察官ごと救おうとする。
彼は王様だから、誰も見捨てはしない。
こういう「寄り添う視点」はソウゴならではで。
やっぱり彼は「王」なんだな、と思う。

ここで出てくるラスボス感満載な男、仮面ライダーディケイド。
しかし彼の意図はまだ全くわからない。
行動原理は不明だけども、ディケイドから渡された武器は強い。
過去のライダーの力の再現度がグンと上がった。
バトルシーン的にはかなりの進歩。

そして、この3エピソードで気になるのがウォズの発言。
「ゲイツはジオウの覇道に関係ない」
つまり、ジオウの完成には「仮面ライダー全ての力」が必要だがその中にゲイツは含まれない。
ゲイツは本名そのままライダーとしての名前になっていることも気になる。
ゲイツは他の「平成ライダー」とは違う、ジオウへの対抗勢力が作った後発の「作られたライダー」だ。
ウォズはアナザーライダーを作るタイムジャッカーとも昔なじみの様子。

…ゲイツが暴走しアナザー化、アナザーゲイツが真のラスボスとかありそうで怖いな。
そしてアナザーゲイツを取り込むことで力が安定してジオウは良き魔王になれるとか。



それを思いついた原因が次の「オウマジオウ編」。
未来のジオウのビジュアルがなんというか、アナザーライダーっぽいんだよね。
何かのきっかけで不安定な力がアナザー化したソウゴ、的な。
スターウォーズのアナキンからのダース・ベイダー的なことよ。

何がきっかけはわからないけれど、ソウゴに抱えきれないほどの絶望がソウゴを襲い、アナザー化した結果が世界の滅亡。
そう考えれば辻褄はあう。
その「絶望」のきっかけがゲイツだったりすれば、タイムパラドックスとかいろいろ面白くなりそう。

このオウマジオウ編ではソウゴは王様になる夢をあきらめかける。
どうやっても「悪い魔王」にしかなれないなら、そもそも王になる事をあきらめるしかないじゃないか、と。
それを止めるのはゲイツだ。
ゲイツに芽生え始めた自我が、ゲイツの意志が、ソウゴに寄り添うことを選んだ。
ゲイツが「選ぶ」ようになったこと。
これがこの後どう転ぶのか、楽しみで仕方ない。


ゲイツとソウゴ、肉体年齢はゲイツが上だけど、二人の関係性はソウゴが兄でゲイツが弟のよう。
普通に近所の幼馴染として彼らが出会えていたら、と思わずにいられない。
この関係性が長く続いて、少しでもゲイツが人として大人になってから、最終決戦に行けたらいいなと思う。
その方がきっとゲイツは強くなっているから。
ジオウがよき魔王になった後の世界では「兵士」のアイデンティティだけでは生きづらいだろうから。
2人のライダーがお互いに与える影響が深くて、目が離せない。

柔らかいヒーローの骨太な美学@仮面ライダージオウ(ビルド~ウィザード)

昔から「力を求める人」を描いた物語に強く惹かれた。

学生時代に読んだ、「とある科学の電磁砲」のレベルアッパー編。
超能力者を育てる学園都市で、無能力と診断された者が違法な手段で能力を身に着ける。
当然副作用もある。
ヒロインがレベルアッパー自体はぶっ潰すわけだが、レベルアッパーの使用者はそれだけでは救われない。
結局「能力なんかなくたって私を愛してくれる人はいるから」というような終わりだったように記憶している。
力を求める者の心の痛みに私は引き込まれたけれど、愛に救われるような終わりには納得しきれないものがあった。

まどか☆マギカシリーズ。
キュウべえに対価を支払って、魔法少女の力を得る少女たち。
しかし、その対価は魔女との闘いだけでは購えない。
人生丸ごと対価に差し出したようなものだ。
それでも、彼女たちにはかなえたい願いがあった。
もっと生きたい。
愛する人にチャンスを与えたい。
魔法少女という「手段」は、魔法の力で解決することは、もしかしたら間違っていたのかもしれないけれど。
それでも、自分の力ではどうすることもできない困難を前に、彼女たちは魔法少女の力にすがった。
彼女たちの「過ち」は大きな力によって赦された。

GUNSLINGER GIRLも、私にとっては「力を求めた者の過ちの物語」だ。
改造されサイボーグとして戦う少女たちの群像劇であり、本来の主役はあくまで少女たちだ。
けれど、その少女とバディ(フラテッロ)を組む大人たちにも物語がある。
彼らはテロや組織犯罪で愛する者や自らの誇りを失い、「担当官」として少女たちと戦う人生に身を投じた。
命を賭して戦うのは少女たち。
担当官である彼らは基本的に指揮官だ。
当然そこには葛藤がある。
少女たちの人生をゆがめた事、自分の復讐を自分でしていない事、復讐を完遂しても何も戻ってこない事。
最後まで彼らは命を奪い合う以外、生きる術を持つことができなかった。
この話は解決とかハッピーエンドではなく、静かに終わりを迎えた。



そして今年。
想定外なモノにハマった。
仮面ライダーだ。

きっかけはイケメンライダー俳優…ではなく。
テレビで偶然見た石ノ森章太郎の半生を描いたドラマ。
初代仮面ライダーの登場秘話。
009も全編ではないものの見ていて、その記憶もあり、再現ドラマもつい見入ってしまった。
初代仮面ライダーは望んでヒーローになった訳じゃなかった。
ヒーローとして育成された訳ですらない。
望まずして得てしまった力を、最大限「正しく」行使しようと足掻き続けたヒーロー。
…特撮に限らず、戦闘音の多いコンテンツが実は私は非常に苦手だ。
世代ど真ん中でありながら、ドラゴンボールをロクに知らないレベルで。
しかし、この仮面ライダーのコンセプトは私の好みど真ん中。


そして今年の仮面ライダー。
大魔王になる未来のある男と、それを阻止したい男が仮面ライダー。
そして、彼らが倒すのは「自分では超えられない壁」にぶち当たった人々。
その時現れたタイムジャッカーと契約し、歪んだライダーの力を得て「アナザーライダー」になった者たち。
大魔王になりうる男(主人公)はソウゴ。
ソウゴはまぁなんというか、王だ。
感情移入するには我々と構造が違いすぎる生き物だ。

一方、魔王化を止めに来た男、ゲイツは非常に現代の若者らしい男だ。
真面目で努力家で実力もあるが、道を誤った者には理解も共感も示さない。
アナザーライダーに対しては終始「断罪者」の立場を貫く。
なぜ彼らがアナザーライダーになるに至ったか、そこに想いを馳せることはない。
ゲイツは彼の本来の時間軸で魔王により仲間を失っている。
その憎しみに、アナザーライダー討伐という大義がガッチリと結びつき、もう一切の揺らぎを持たなくなっている。
この「正しさ」と「過ちを犯した弱者への振る舞い」は、今の若者そのものだと思う。
最近のニューストピックスでツイッターを検索してみれば、どのトピックスでも自己責任論の大合唱だ。
そういう若者とゲイツは非常に近しいメンタリティを持っている。
今の若者の感情移入を誘うキャラクター設定として見事としか言いようがない。

では、アナザーライダーはなぜそうなる事を選んだのか。
自分の人生をかけてきた競技を続けるため。
我が子の命を救うため。
死んだ恋人をよみがえらせるため。
想いを伝えられなかった想い人の夢と生きがいを守るため。
どれもこれも、自分の力ではどうしようもない願いばかり。

アナザーライダーとなってしまった事は、過ちだと言えるだろう。
抗えない運命に抗うため、自分の大切な人の命のためであっても、ろくに説明も聞かずに契約した。
その結果、たくさんの人を傷つけた、これは過ちとしか言いようがない。
でも、自分ならどうか。
私は間違いなく、アナザーライダーになる事を選ぶ。
自分の命のためならともかく、愛する人のためならば。
私が一番感情移入して見ているのは、ソウゴでもゲイツでもない。
アナザーライダーたちだ。

ソウゴはアナザーライダーの「理由」に寄り添う。
ある種の「未練」を成仏させてやろうとする。
ゲイツはただひたすらにアナザーライダーを叩き斬る。
それは、「王」と「市民」の差ともいえる。
同時に、ソウゴは本当に理解しがたいキャラだ。
私は、自分がアナザーライダーになったとして、ゲイツではなくソウゴに来てほしいと思うけれど。
とはいえソウゴの考えている事は1ミリも理解できない。
だって、彼は王だから。

そして、このソウゴ、特撮ファンというか仮面ライダーファンからは「らしくない」存在らしいのだ。
私は仮面ライダーを全く知らないで見ている、というか夏に見た再現ドラマの知識がすべてで、過去の「平成ライダー」は1作も見ていない。
しかし、ソウゴの持つ「魔王化するかもしれない揺らぎ」と「道を誤った者への共感」はドラマで知った「初代ライダーのコンセプト」にはピッタリ合致しているように見える。
ゲイツの方がよほどまっすぐなヒーロー像だろう、ツクヨミがヒロインらしいのかどうかはちょっとわからないが。

今年はどうも平成仮面ライダー的にはメモリアルイヤーらしい。
だから過去ライダーてんこ盛りのファンアイテムを作ろうとした、のか?
でも主役はヒーローらしいヒーローであるゲイツではなく、理解しがたい孤高の王ソウゴだ。

理由問わず加害者を断罪するヒーロー、ヒーローらしいヒーロー、ゲイツ。
その限界をふわっと超えていく、悪者に寄り添う、ライダーらしからぬライダー、ソウゴ。

ソウゴが主役であることでライダーファンからはバッシングもあるだろう。
しかし、制作側がソウゴが「らしくない」と分かっていないなんてありえないだろう。
という事は、ここに制作者の意図があるのではないか。
少なくとも私はそう思う。
「らしくない」ソウゴが主役で、「らしい」ゲイツには超えられない壁をソウゴが超えて行ってしまうのはなぜか。
長年のファンが離れるリスクを背負っててでも伝えたいメッセージ。

「ヒーローは裁くんじゃない、救い守る存在なんだ」
「力を裁くためだけに行使していては、根本的な解決はできない」
「人の性質は良い方にも悪い方にも転ぶ、始めから悪の権化な人なんていない」

言葉にすると陳腐だけれど。
今の若者たちにとって、アナザーライダーになるなんてまさに「自己責任」だろう。
ゲイツにぶった切られても文句は言えない。
けれど、ソウゴは違う選択をする。

2018年の日本は民主主義で「王」による統治は行われていない。
ゲイツ的正義が正しいとされるだろう。
あえてそれを覆す、メモリアルイヤーのファンアイテムで「らしくない」物を作る。
現代の若者の代弁者であるキャラクターを貶めず、同時に「限界」ははっきりと示す。
ヒーローらしさがない「柔らかい」ヒーローが主役。
それでいて、上記3つのメッセージは初代の、本当に初心のメッセージに思える。
「らしくない」パッケージに込められた神髄。
なんとカッコイイ美学なんだ。


今の世の中の「裁く側になりたい」と望む人の多い世の中で、この作品が今後どう評価されていくかはわからない。
でも「ヒーローは裁く存在じゃない」というメッセージは私にとっては希望の光だ。
「ソウゴを魔王にしない」事について、ゲイツは「ソウゴに力を持たせない」、ソウゴは「良き王になる」をゴールとしている事もわかった。
この発想の差もまさに今どきの若者と昭和のヒーローのようで面白い。
最終回でソウゴがどうなっているのか、楽しみだ。

オジサマと喪失@アンナチュラル

米津玄師にドハマりし、彼の歌が主題歌になってるドラマにまで手を出す。
このドラマ、法医学者が主人公だけどいわゆる猟奇的なアレはそう出てこない。
死因究明が難しい遺体が出てくることが多いので、毒殺率が高めなのよね。
そこらへんも見やすいドラマだった。
(過去に見てた無痛というドラマはヤバくてだな…


主人公のミコトは石原さとみ。
そりゃあ可愛い、文句なしに可愛い。
しかもスタイリストがいいのか、衣装の小物のセンスがリアリティあってセンスもいい。
トラウマを抱えた設定ではあるけれど、それが落ち込む方向ではなく怒りを生み出す方向に作用しているから、暗さはない。

この作品、彼氏彼女のいない女2人男3人が同じ職場で働いていながら、カップル成立0という潔さ。
ただ、六郎(窪田正孝)は明らかにミコトに好意があるけれど。
ミコトの主人公適正バリバリの熱量と愛され度、中堂の口の悪さ、東海林のいい女だけど報われない感じ、坂本のヘタレたしたたかさ、未熟ながら成長著しく少年漫画的な六郎、全部包み込む大人である所長。
実にバランスのいいチーム。

メインキャラ5人と所長のUDIラボ組と、宍戸と末次メインの出版社組、ラスボスで中堂の敵がこの話の三本柱。
中堂は恋人を殺されていて、その犯人がラスボスになる。
一話一話の事件とともに、少しずつ回想が挿入されていく構成。

脇役が脇役と呼ぶにはもったいないレベルのいい仕事っぷり。

まず、中堂をパワハラで訴える坂本@ずんの飯尾さん。
コイツがもうどうしようもないヘタレで、中堂の「クソ」連呼におびえてるくせに生活費のために訴訟は起こす。
ミコトにいい就職先紹介されればアッサリ訴訟はやめる。
ムーミンLOVEで買収もカンタン。
だけど、最終話のエピローグ的な所で成長を見せる。
ダメダメそうなオーラは変わらず、でも明らかに変わってる。
この人間臭さを演じきれるのはいいなあと思う。


末次役の池田鉄洋がもうね、顔がイケメンじゃなくてもカッコよくなれる人だと知ってたけどすごいわ。
最終話、悪役が次々捕まっていく流れの中、どんどんカッコよくなっていく。
仕事に対しての熱さ、譲れない何か、そういうものをきちんと表現しているの。
わずか十数分の中で。
古田新太もそうだけど、カッコよさは見た目じゃない。
世の中の「ただしイケメンに~」をやってる男子、彼らを見習え。


所長はメインキャスト側だけど松重豊の芝居について何も言わない訳にはいかない。
普段、熱い思いを隠して隠して、ここぞという時には部下の盾となって戦う上司の鑑。
獅子となって吠えた次の瞬間、ヘタレに戻るのも素晴らしい。
私が「理想の上司ランキング」を作るとしたら、ドラマ部門一位は間違いなくこの所長だ。
画面の端にいる時も、一瞬たりとも「所長」でない瞬間がないのは流石の職人技。



以上の三人のおじさまズが今回の私のイチオシだけど、番外編がもう二人。
嫌な検事(烏田守)の吹越満。
嫌な奴なんだけど、敵になっても味方になってもテンションが変わらない。
そして仕事だけはキッチリやる。
単なる嫌がらせに終始しない絶妙な匙加減。

そして「ヤシキさん」のミッキーカーチス!
ゴミ屋敷に住む独居老人で、出番は少ない。
だけど所長との心の交流の温かさ、関わったのは一瞬のはずなのに六郎にも影響を与え、しかも彼とともに流れる主題歌がたまらん。


主題歌のLemonは大事な人を失った後、みっともなくも生き続けようと足掻く歌。
だからミコトにも中堂にも当てはまるし、なんなら所長にもそういう経験があるんじゃないかと思う。
最終話では中堂とともに主題歌が流れ、事件解決で鎧の剥がれた中堂の表情にもらい泣きした。
だけど、このヤシキさんもこの歌に合うんだ。
(この辺、ラスボスの事件絡みなのであまり書くとネタバレなので言えないが



法医学という、死者のための学問。
「生きている人を救う方が大事」と面と向かって言う医者も出てくる。
だけど、人は理由を求める生き物。
理由を知る事で前に進めることもある。
そして、もしその「理不尽な死」が人為的なものだったら。
それを裁かせるには法医学が必要だ。

作中では法医学によって名誉回復できた人や、死因究明によって前に進めた人がたくさん出てくる。
ミコトは「理不尽な死」を敵だと言う。
大事な人の死が理不尽でないことなんてないだろうが、それでも「犯人」がいて裁きを受けない以上の理不尽さはないだろう。
「日本の解剖率は低い」という話が作中何度も出てくる。
遺体に傷をつけることを嫌だと感じる心もあるだろうし、私だって大事な人を失えばそう思うかもしれない。
それでも、理由を知ることは必要だ。
良い事も悪い事も、知らなければ始まらないのだから。
肉親の死を早すぎる時期に経験したミコトだからこそ、そう強く思えるのだろう。
中堂の情熱はあくまで「犯人捜し」だが、ミコトは少し違うように見えた。
ミコトが最期にその遺体が何を考えていたのか遺族に必死に伝えようとする話があり、この話では死因は殺人ではない。
それでもミコトは「起きた事」を調べ続け、そこで出てきた事実が遺族の心を救った。
私はこの話が大好きだ。


もし続編があるのなら。
お願いだから所長の過去編やってください。
絶対にすごい深い話が眠ってると思うわ。

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お笑いメインに、芝居、宝塚と西へ東へ。

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