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2019-11

それぞれの向き合い方@咲く

下北のお芝居再び。
前に「チョコチップクッキー」という芝居を見たのと同じカンパニーの芝居。
あまり詳しくないのだが、ここの脚本を書いている人は「群像劇のプロ」なのだなと思う。
前回は一応ストーリーテラーのような役どころはあったものの、今回はそれすらもなく。
主人公を決めるのは、作品を見ている私、といった状態。

舞台はとある荒れ庭。
持ち主は亡くなり、娘は熱心に手入れしているものの技術が伴わない。
庭の住人(花やら置物やら小鳥やら)はそれぞれの命を、あるいは存在を生きている。

庭の最古参であり、若い花々の保護者のような、貫禄ある藤。
強がりで、そう、星の王子様にでてくる薔薇のような、薔薇。
フェミニンな男性の、百合、
針のつかいどころを探しながら針を温存している蜂。
未来への憧れでそわそわしているチューリップの球根2人。
庭の主が買ってきた呪いの人形?クンカクンカ。
退屈に殺されかけているアヒルの置物。
自由を求めて、かごから抜け出したインコ。
巣作りに勤勉で、インコを気にかける雀。
空気を読まない、自分の理想の背景を探し求める美貌のアゲハ。
これに庭の主の娘、「キミちゃん」と、その彼氏、小学校の同級生である庭師の男、女性庭師で全員だ。

庭の主がなくなったため、この庭はもうすぐ更地になる。
きみちゃんも引っ越していく。
花たちも、それぞれの生の終わりを見つめなくてはならない。

薔薇と百合は切られて、切り花となる。
一人の少女の心の支えとなるため、自分の命を少しでもながらえるため、少しでも長く咲こうとする薔薇。
大事な人生の節目を彩る花として、一瞬で満開になろうとする百合。
チューリップは「天国」についてふわふわ話すばかりで自らの生の行く末など見えていないかのよう。

置物たちは命の期限のない存在であるがゆえに自由で不自由。
もらわれていった先で突然人気者になったクンカクンカ。
引っ越し先に連れて行ってもらえるものの、同じ景色ばかりだと退屈するから、と置かれ方をコントロールしようとするアヒル。

花と置物の間に、羽あるものたちがいる。
もらわれていった者たちのその後を伝令しようとする、蜂とインコ。
あくまで「よそ者」として庭を愛し、庭を見つめている雀。
アゲハの世界においては他者は全て「背景」であり、「黒と●●色は××」という、自分の色との相性でしか他者を見ない。

全ての存在をつなぐのは、藤。
動くことも、切り花になる事も、永遠の時の生きる事もない、藤。
庭を作り上げた、きみちゃんの父。
彼が一番初めに植えた藤は、彼の死の時に一房だけ花をつけた。
庭の主と最も深いつながりを持つ藤。
きみちゃんは藤を守ろうと奔走するものの、あまりに深く根を張った藤はそう簡単に植え替えることなどできない。

きみちゃんを中心に、2人の男と女性庭師の心も絡み合う。
自己中できみちゃんの事を理解しているとはいいがたいけれど、2人の将来を彼なりに真面目に考えている様子の彼氏。
きみちゃんの事を理解してはいるけれど、ストーカーまで紙一重の視野の狭い愛情を向けている同級生で庭師の男。
どっちもやめとけ、まだ若いんだから、と言いたくなるが、きみちゃんは彼氏と生きていく覚悟があるようだ。
自分を変えて、押し殺して。
その覚悟を語る台詞はアゲハの唯我独尊な台詞とちょうど対になっている。

アゲハのように生きられる人は少ない。
彼女は空気を読まない。
自分が一番大事で、周りは背景だ。
自分に好意を寄せる蜂もバッサリふってしまう。
だけど、その時の台詞は「黒に黄色は合わない」なんだ。
「黄色って色はダメ」ではない。
自分が大好き、という彼女の軸は他者によって揺らぐことはない。
だから誰かを貶す必要がない。
それってとても強くて、美しい。

きみちゃんはこれから先、どう生きていくのかの答えはこの作品中で明言されていない。
そこまで含めて、「見る側が決める」んだと思う。


自由を求めたカゴ抜けインコ。
彼は飼い主のところに一度だけ戻ってみた。
そこには、自分となじ名前の新しいインコ。
仕事している人間ならこの痛みはすごくリアルだろう。
自分はもう必要ない。
自分は「自分」である必要のない存在だった。
そんな痛み。
けれど、この庭の花やアヒルはインコを必要としている。
彼は正確にはこの庭の一員ではない。
普段は夜は自分のねぐらに帰っていたようだし。
彼はどこにも属していない。
きっと、「属する」ことが怖くなってしまったのだろう。

庭が終わる時、インコは「動物園に行く」と決心する。
(冬をこのままの「カゴ抜けインコ」で過ごすことは厳しいという雀の言葉からして、これは生きるためのギリギリの選択)
インコがそれを告げる相手はアヒルのみ。
この二匹の交流は語られない部分が深い。
姿かたちは似ているのに、生物と置物で、客と庭の一員で。
全く違うインコとアヒルがお互いを肯定しあっているのが嬉しくて痛い。
相手への「肯定」は自分への黒い想いと裏返し。
アヒルは動けて終わりのある命がうらやましい。
インコは最後まで見届けられる永遠の存在が羨ましい。
けれど、その黒い想いは隠して、相手を肯定して、相手からの肯定を受け入れて、自分の明日を生きる。
痛みのある肯定を受け入れる姿は、私がインコを演じている中島多朗さんを見に行く理由だ。
ただ幸せなだけでない許しや肯定を、リアルなのに希望のある形で演じてくれる人だから。



一方、蜂は最後まで花々と寄り添う
蜂は藤を強引に過労とするきみちゃんの彼氏を刺して、(ミツバチなので一度刺したら死ぬ)息絶える。
最後は切り花となった薔薇のそばで。
薔薇は蜂を愛していたけれど、蜂はアゲハに夢中で、薔薇と蜂は恋中ではない。
でも一番強く結びついていたんだろうな。


話の最後、いよいよ藤が伐採される直前。
庭師の女性がきみちゃんに向き合う。
父を思い出さなくなっていくことがつらい、だから藤だけでも変えたくないと訴えるきみちゃんに、庭師はこういう。
「思い出せなくなることは忘れる事ではない」
これは、思い出さなくなる事で自分を責めないで、という台詞だ。
だけど同時に「どんなに忘れられない大事な人も思い出せなくなっていく、それは止められない」事でもあるんじゃないだろうか。
自分が大事な人を喪った時を思い出して、そう感じた。

藤は最後にに、きみちゃんを肯定する。
包み込む。
きみちゃんにそれがどれだけしみこむかはわからない。
不幸への道だとわかっていても彼氏と付き合い続けることをやめられないのかもしれない。

肯定される、許される事を受け入れるのは難しい。
自分を愛する、というベースがないと本当に難しい。
誰かの優しさを受け入れる事が自分を傷つけることもある。
「役割」の中で生きる事より、自分で生きる事の方がつらい時もある。

私は「傷つきながらも変わりたいと願い、さらに傷つきながらも肯定や赦しを受け入れる」存在から目が離せない。
花たちが自分の「生」に区切りをつけていく中で命の終わりがない自分と向き合ったアヒル。
自由を求めて、元の居場所を失って、自分の選んだ居場所もなくなって、自棄になりそうだけどアヒルや花たちとの交流を自分の芯にして生きていこうと足掻くインコ。
「崇高な目的のために命をなげうつ」事ができない苦しみ。
残される哀しさ。
そんな中でも、生きていく。
いくらでも拡大解釈できて、全ての人に響く、普遍的な痛みの話なんじゃないだろうか。


私はまだ「自分の死」は身近にない。
一方で、「残される苦しみ」は知っている。
だから、残される側に共鳴する。
私にとってこの話は「蜂とアヒルとインコが三者三様、庭の終わりと自分の生の形で向き合う話」だ。
パートナーとの関係がしんどい人にはきみちゃんが主役だろうし、これはもう見る人次第だし、私が5年後にこの話を見た時同じ感想になる事はないだろう。
まさに一期一会。

庭を守るために、庭ともに散った蜂。
庭にもらったものを胸に、生きるために足掻くことにしたインコ。
何もできないけれど、心の痛みに耐えて全てを受け入れ見守り続けるアヒル。


この話は「命の終わり」、「残された者の痛み」という誰にでも共鳴するテーマを、痛みが生々しくならない花や鳥に託して、自分の好きな角度から物語に浸らせてくれる。
死と向き合う事は、生の輪郭をなぞる事。
輪郭がわかったら、次は躊躇せず、ど真ん中に飛び込めるはず。
それが生命への讃歌になる。
同時に、輪郭をなぞっただけで知った気になってはならない。
いつか来る死、それに向き合うだけじゃ生きたことにならない。
「生に向きあう」という事をもう一度考えさせられる作品だった。
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エンパワメント・エンターテイメント@キューティーブロンド

神田沙也加は天才である。
今更こんなこと私が言わなくても、って話ではあるけれど。

この芝居、アメリカが舞台で、アメリカの文化を理解していることが前提。
翻訳者泣かせにもほどがある脚本だと思う。
まず、「ブロンド=可愛いオバカさん」って感覚がなあ…日本で言うとなんだろ、これ。
巨乳が比較的近いか?う~ん。

ヒロインのエルは「ヒバリ―ヒルズの金持ち(成金)の娘でブロンド、ハイスクールではチアガール」という、モテ要素全部乗せな存在。
ただし、この場合の「モテ」というのは同時に「男から対等な存在とは扱われない」という事を意味する。
けれどエルは男に媚びた結果今のエルになったわけじゃない。
ファッションが好き、おしゃれがしたい、ピンクが好き、チワワが好き。
それは彼女がもともと持っていた彼女の一部であって、それが彼女の全てじゃない。

エルは大学でファッションマーケティング専攻、エリートの彼氏(ワーナー)は大学卒業後ハーバードのロースクールに行く。
彼は上院議員になる事を望まれる上流階級。
そしてある日高級レストランに呼び出されるエル。
さぁプロポーズだ!
と思いきや、ふられる。
「エルは可愛いけど、将来の上院議員さらには大統領の夫人にはふさわしくないから」と。

泣いて引きこもるエル。
数日後、エルが出した結論は「自分もハーバードロースクールにいく!」というもの。
ストーカーするだけなら同じ町にいけば充分なんだが、それじゃ「見返してやる」ことはできないからねえ。

本筋には関係ないが、作中では「ファッションマーケティング専攻」はあまり頭がよくなさそうな扱いなんだけども、本当にマーケティングなら統計使いまくりよ…限りなく理系に近い存在よ…



さて、すったもんだの末見事に合格。
しかしワーナーは既にヴィヴィアンという彼女を作っていた?!
ヴィヴィアンは寄宿学校で一緒だった子らしい。
黒髪ボブ、いかにも真面目そうな子。
(寄宿学校=上流階級なんだってことは昔どっかの小説で読んだな…)
ヴィヴィアン、エルに対抗心丸出しでまぁすっごく嫌な女。
ロースクールの同期生パーティーでヴィヴィアンにはめられ落ち込むエルの前に、教授の助手?的な存在のエメットが現れる。
エメットに助けられ勉強に励むエル。
だんだん成績は上向き、教授の選ぶ少数精鋭にも入れた!
そして二幕では実際に裁判でロースクールの同期達、教授と弁護団として取り組む。


この間に、エルを勉強に対して本気にさせる重要なエピソードがある。
ヴィヴィアンの存在を知り、やけになって髪を染めようと美容室に飛び込むエル。
そこにいたのはカラータイツがトレードマークの個性的な美容師、ポーレット。
2人はすぐに親友となるが、10年連れそった元カレにポーレットが愛犬を奪われていた事を知ったエル。
愛犬の誕生日に元カレの家に乗り込むも、元カレは相手にしない。
しかしエメットがある判例を口にして、法的に正しいのは自分たちだと気づいたエルは愛犬を無事取り戻し、ポーレットと抱き合って喜ぶ。
その時初めてエルにとって法律が「ワーナーを取り戻す手段」以上のものとなる。

これだけ世話を焼いてるんだから、当然エメットはエルに恋してるんだろうと予想はつく。
でも、これは「ワーナーにふられたけど頑張ってたら新しい王子様エメットに見初められた話」ではない。
あくまでエルが、エメットが、ヴィヴィアンが、ワーナーすらも自分と向き合い成長していく話だ。

二幕のメイン、裁判はブルックという女性の無実を証明するか司法取引するか、という事案。
エル以外は彼女が本当はやっているという前提で司法取引を進める。
しかしエルだけがブルックを信じ、そして同じ大学の女子寮だった絆もあって、本当の彼女のアリバイを教えてもらえる。
けれど、それはブルックが人に知られてはいけない秘密。
クライアントの信用を捨てるわけにはいかない、とエメットにすら食って掛かるエル。

エメットは恵まれない環境に育ち、努力に努力を重ねて今を手に入れた男だ。
エルみたいな子は理解の範疇にない。
エルが彼女なりにどれだけ努力していたとしても、エメットの環境から見れば「甘ったれた女の子のおままごと」に過ぎない。
けれど、エメットはそこから脱皮した。
きちんとエルと向き合った。
「甘やかされたかわいこちゃん」ではなく、「エル・ウッズ」を見ようとした。
弁護士というのは、人に寄り添う事なしにはできない職業だ。
しかも依頼人のほとんどはエメット以上の苦労なんかしていない。
エメットから見たらよくて「甘ったれ」、実際のところは「クズ」にしか見えないであろう人たち。
今は教授の助手のような事をしているからいいけれど、いつか独立した時に、エメットの苦労人としての矜持は仕事を進める上での枷となっていたはず。
そんなエメットが恋という要素があったとはいえエルと対等に話し合ったのは、すごい進歩だと思う。

エルはエメットに勉強を教えてもらいながら、自らの勉強する意味、法律の持つ力を知った。
エメットはエルと過ごすことで、「甘ったれ」というレッテルを貼らずに人をそのまま見つめる力を身に着けた。
彼らは高め合うカップルになった(まだ付き合ってないけど)
エルがエメットに服を選ぶシーンがそれを象徴してる。
「見た目にこだわるなんて」って思って生きてきた、実際見た目にこだわる余裕なんかなかったエメット。
そのエメットのわだかまりをほぐしてデパートにつれていくエル。
デパートについた瞬間のエメットの子供のようなはしゃぎ方、それまでの落ち着いた大人の男だったエメットが、エルを常に引っ張ってきたエメットが子供になってエルに着せ替えされている。
エルがエルの明るさで、エメットの失われた青春を取り戻しているようでね。
エメットがそれを受け入れていること、それがどれほど難しい事かわかるから、余計にじんとくる。



一方、ヴィヴィアンとワーナー。
このヴィヴィアン、作中でほとんどキャラクター設定が明かされていないけれど。
寄宿学校に通う上流階級、それでいてチャラ男ワーナーに夢中なあたり、本当に真面目で親の敷いたレールの上を必死に歩いてきた子なんだろう。
エルのオシャレ大好きピンク大好きな個性と、法律の勉強を両立するある意味欲張りな姿勢など理解できない子。
ヴィヴィアンから見たエルは、ワーナーを奪おうと下品な性的アピール(ピンクのタンクトップで大学いくからね、エル…)をかます邪魔者でしかなかった。
けれど、ヴィヴィアンも変わる。
きっとそれは一瞬の事ではなくて、葛藤はそれなりにずっとしていたと思うけど、芝居の中で描かれるのはほんの一瞬。
たった一言の台詞。

「最低よ、ワーナー」

これですべてを表現しなきゃなんない。
…とんでもなく難しい役だっだと思うよ。
この役を演じてたのは声優さんでまだ若い子のようだが、すごいなあ…

さて、この重要な台詞、どういう場面で吐かれたものかというと。
裁判の途中、とりあえず一人の証人の嘘を暴くことに成功したエル。
成功を祝して完敗した後、教授とエルは二人きりに。
そこでエルに無理やりキスをする教授。
タイミング良いんだかわるいんだか、ワーナーとヴィヴィアンはそれを目撃してしまった。
ワーナーは「色仕掛けでこのチームに入ったんだな」とエルをあざ笑う。
それに対してのヴィヴィアンの台詞が「最低よ、ワーナー」なわけだ。
正直、「最低よ、エル」の間違いかと思ったよ。
だってヴィヴィアンのこれまでがこれまでだもの。
だけど、その台詞言った瞬間、踵を返してワーナーおいて行っちゃうから、ああ、何かがここでヴィヴィアンに芽生えたんだな、と。

その後エルは「私は所詮キューティー・ブロンド」と歌い、ここを去ろうと決意する。
エルがどれだけ努力をしても、ブロンドのエルはビジネスの場でちゃんと見てはもらえないんだ、と。
そしてポーレットに別れの挨拶をしに行くと…そこで待っていたのはヴィヴィアン。
エルは復活!
次の法廷にはこれで行く、とショッキングピンクのスーツで現れる。
そう、これまでのエル、法廷では紺に少しだけピンクのストライプの入ったスーツ、とエルにしてはものすごくおとなしい格好してたのね。
それを、自分本来のスタイルで行く、と。

次の法廷、真犯人を暴くエル。
実験で証明するのだけど、実験にはクラスメートとポーレットが協力してくれた。
見事真犯人を立証!
ワーナーのやり直そうという台詞も蹴って、でもエメットと今すぐくっつく感じでもなくラストシーンへ。

あ、この間、ちょこちょこポーレットと新彼氏のいちゃいちゃシーンがコメディタッチで挟まってる。
ジョークがなかなかセクシーに過激で、こりゃあテレビじゃあできないわねえ、といった感じ。
法廷で証人の嘘を暴いたのもある意味色仕掛けっつ~なかなか濃いセクシーシーン。
ただね、法廷で色仕掛けやったその日にセクハラ被害っつ~流れにはまぁ思うところがないわけじゃないけども。
日本人である私の感覚とアメリカの感覚の違いなんだろう、たぶん。



ラストシーン。
ヴィヴィアンはワーナーと別れ、仕事をもって生きていくようだ。
ワーナーは中退、だけどモデルの道を目指すという。
エルは主席!
ポーレットは新しい彼氏と結婚し、子持ち。

最後は何と、エルからエメットにプロポーズ!

全員が幸せになる、可愛い楽しいハッピーエンド。
ワーナーの中退は、私はハッピーエンドだと思うのよ。
ワーナーの本当の好みはエル。
常にいい服を着て、エメットにいじられるぐらい無駄にポーズをとりまくるワーナー。
「ビッグになりたい」とは思っていただろうけど、議員や弁護士は彼の本当にやりたい仕事ではなかったんじゃないかな。
エルがエルのままで法律の勉強にも興味を持ち能力を伸ばしていく姿を見て、結婚のため選んだヴィヴィアンに男としてフラれて、やっと吹っ切れたんじゃないか。
「悪役の末路」ではなく、ワーナーの人生が始まったのがロースクールの中退。
そう感じられるような表情ではけていく演出だったのがすごく嬉しい。



とりあえず頑張ってみて、行き詰った時「自分がなぜ頑張るのか」を見つめなおして、それで新しい力を得て成長する。
エルもエメットもヴィヴィアンもワーナーも。
壁を乗り越えて、自分の「本当」と向き合って、強くなる。
そうやって力を得ることを「エンパワメント」と呼ぶのだけれど。
誰かの、特に若者の、エンパワメントされる瞬間というのは最高のエンターテイメントだと、改めて思った。

最後に。
この芝居、本物のロングコートチワワのブルーザーが出てるんだけど、これがもう可愛い、可愛すぎる。
実際に神田沙也加の家に飼われているらしい。
夜公演だったのだけど、終演挨拶の時もうウトウトしている姿が本当に天使。
グッズが売れまくってたのもうなずける。
いいなあ、ワンコ買いたいわ~。

人が人になろうと決める時@チョコチップクッキー


久しぶりに下北で芝居を見てきた。
ザ・スズナリで、Rising Tiptoeのチョコチップクッキー。
チラシいわく、「労働について問いかける」話しらしい。
同じくチラシいわく、「チョコチップクッキーは食べる人が味を決めるの」と。


総合すると、「物事の多面性」、「自己決定」、「自我の形成」の3つが柱となって、人のアイデンティティを揺さぶる話だなあ、というのがざっくりした感想。
途中で依存という要素が増えてさらに話が複雑化していく。
この話は1場面ずつストーリーを追って説明してもおそらく記事を読んだ人に何も伝わらない。
だから、この記事はあくまで「この公演を見た私の頭の中」の話を書く。


「物事の多面性」と労働、を組み合わせて考える。
仕事は「やりがい」を通して人生を充実させてくれる面もある。
何かを生産してそれを生活の糧に替える機能もある。

話の舞台は「病人の街」とでも言おうか。
病人は生活費を保証され、家をあてがわれ、家事もしなくていい。
療養に専念できるし、この世界で超高級品であるチョコレートを「ポリフェノール」という名目で薬として処方されることもできる。
しかしまぁ人間なんてこんなもの、と言うべきか…街には仮病の病人であふれている。
主人公も喘息のフリをして街へやってきた。

街にいる病人たちは色分けされたバッチをつける。
そのバッチでその人の「級」がわかる。
これだけでも正直ディストピア感がすごいのだが、この街の住人はそれをアッサリ受け入れている。
なぜだろう、と疑問に思いつつ話が進んでいく。
主人公は作業所的な所に通うのだが、そこで級なしの特別市民、「プラチナ」のとんとんと出会う。
とんとんはみんなのサンドバッグ状態、動きも鈍く記憶力も低く口調もたどたどしい、その上親もここの市民で、「本物」と蔑まれている。
そう、この街の住人は「自分は仮病だから本当はまとも」というアイデンティティを持っている。
本当に治療が必要な人がバカにされ、仮病の住人が大手を振って歩いている。
そりゃあそうだ、仮病の住人は本当はできるんだから。

ここまでで「生活保護とかの社会福祉バッシングか?」と思ったが、この話はそんなに底が浅くはない。
主人公は少女時代の思い出からチョコチップクッキーに並々ならぬ多い入れがあるのだが、この街では基本的に料理はしない。
だから処方されたポリフェノールでクッキーを作れない。
クッキーを作りたくて動いていると、仲間になってくれそうな女性が現れる。
その女性はこういう。
「このピクニックには終わりがないの、自分でお開きにしなければ」
ここでストーリーに「自己決定」の要素が加わる。

序盤から出ている「テルテル」。
彼女は片頭痛でこの街にやってきた。
今ではすっかり良くなっているけれども、街を出る勇気がなくモラトリアムのように街で過ごしている。
彼女は作業班のリーダーの誘いを拒否した事をきっかけに街を追われる。
その時に街のメンバーは冷たく彼女を突き離す。
でも同時に。
「君はまだ若い」ともいうんだ。

ここにいたくない。
自分はここにいる人間より上等な人間なはずなんだ。
だけど、ここでしか生きられない。

そういう葛藤が街の人間にはある。
長く街にいればいるほど、その葛藤は心を蝕んでいく。
自分の中でそれをおさめきれなくて、とんとんのような「本物」いじめにつながっていく。
だって、とんとんは「ここにいていい」んだから。
たとえここが密告のあふれる監獄でも。
「ここにいていい」と無条件に言われることがどれほど羨ましい事か。
テルテルの離脱は彼女の自己決定ではない。
だけど、彼女は後に出紙をよこす。
ファックを連呼する、街での腺病質な姿から想像もつかない手紙を。
それは彼女が自己決定をする「外の世界」に戻ったからだ。
手紙を書くことも、彼女自身の決定だ。

街の住人は「仮病」だと自覚している。
果たして本当にそうだろうか?
確かに体は健康かもしれない。
けれど、心は?
いわゆる自炊は、自己決定の連続だ。
今夜はモヤシにして節約して、来週発売のゲームを買うぞ。
これだって立派な自己決定だ。
そういうものをこの街は奪っている。
お仕着せの日常に耐えられるのは、些細な自己決定を毎日何十何百とこなす「心のスタミナ」がきれているからではないのか。
監視されて自由もなくて、それでも生活できるならそれでいい。
そんな精神状態、全く健康とは思えない。
テルテルは「リーダーの誘い」を断るという自己決定をした。
自由であることが、生活の保証より大事になった。
それこそが彼女が「街の住人」でなくなった証。
片頭痛がどうとかじゃない。
彼女の心のスタミナが回復し、「選ぶ」ことができるようになったということ。
それが街の住人の資格を失わせた。
私にはそう見えた。

で、この「リーダー」。
4~6人ぐらいの作業班をまとめてるリーダーなんだけど。
彼だけ「街にいる理由」が明かされてないんだなあ。
主人公のいる作業班は皿を並べて回収するだけの仕事を担当する。
が、その「皿並べ」には歌と振付がついていて、しかもそれがちょこちょこ変わる。
何の生産性もない作業に、効率に一切貢献しないルール。
世の中の何かを揶揄していることは間違いないだろう。

ここで私が思ったのは、仕事の中の「社会の構成員としての承認」だ。
有形無形の何かを生産し、その対価を受け取る、それが仕事。
対価の一つは社会からの肯定、承認。
その側面だけが肥大すると忠誠心を求めてサービス残業を強要するブラック企業の出来上がり。

リーダーの肥大した承認欲求もある意味では病的だ。
彼はわかりやすい病気ではないだろうが、この街から出られもしないだろう。
街という「システム」が体にしみこみ、もう分離できない。
彼自身、皿並べの複雑な振付に意味など感じていないだろう。
でも、やらずにはいられない。
もうそこにしかアイデンティティがないから。

そして物語中盤、主人公はチョコチップクッキーに依存し始める。
謎の医者と看護師、市長と秘書?も物語に絡みはじめ、人間関係が複雑化する。
とんとんにも裏切られる。
彼女の場合は、本当に「ここでしか生きられない」のだから、裏切りもするだろうが…
最終的に「私はチョコチップクッキーになる!」と言い出す始末。
実際それは無理にしても、台詞は深い。
「砕かれるにしても自分で選びたい」と。

最終局面ではチョコチップクッキーの発明者まで出てくる。
再び語られる「すべては自分次第」というメッセージ。
同じクッキーがバター優位に感じられたりチョコ優位に感じられたり。

そして、どちらの味もしない、砂のように感じられる日だってあるだろう。

私も若い頃はブラックな働き方もした。
アイデンティティがどこかにあると信じてさまよった。
今でもそうだ。
どこかにあるはずの、「自分の価値」とか「生きる理由」とか、自分の芯になるものを探し続けている。

ここにいたくない、ここでしか生きられない。
矛盾するようで、一つだけ確かな事。
こんな嫌な場所でも、とりあえず自分はまだ生きていたい。

To be or not to be?

そんな問いかけできるわけがない。
この世に自分なんか必要ないとわかった上で、生きていたいから苦しいんだ。
この街の人間だって基本的には(妊婦はともかく)、この世から「要らない」と言われる人間だろう。
それでも生きていたい。
居場所がほしい。
肯定されたい、承認されたい。

そのために「労働」というのは重要な条件だ。
社会が自分に対価を支払ってくれるという事は、それは社会からの承認だと言える。
この街では労働しない。
日々の生活保証は「対価」ではない。
それは無条件の肯定に見えて、とても不安定な状態だ。

市長が何度も語るエピソードに、「仕事をサボって電車に乗ったら巣に帰れなくなり死を待つだけのアリ」というのがある。
普通に解釈するなら、社会のルールから逸脱したら人は生きられない、という事になる。
同時に繰り返される「働きアリの2割は休んでる」という豆知識。

この街の住人は「サボって電車に迷い込んだアリ」か、「もともと計画されている2割の休むアリ」なのか。
仮病でなく、本当に病気で街に来た住人でも、同年代の人の活躍をテレビで見た日には自分が「電車に迷い込んだアリ」に思えるだろう。
単なるサボリであったとしても、堂々としていれば他人からは「もともと休みのアリ」に見えるだろう。

同じ現象も、自分がどう考えるかで違う未来へつながっていく。
これは単なるプラス思考の勧めじゃない。
自分の考えが、思考が常にコントロールできるなんて、そんな考えは傲慢だ。
私だって明日、チョコチップクッキーになりたいという考えに憑りつかれるかもしれない。

人は社会的動物だ。
他者とのかかわりなしでは生きられない。
最後の柱「自我の形成」はどんな人でも、1人では達成できない。
引きこもりが「引きこもる」と選択するためには、他者が必要だ。
この監視され自由のない街で、それでも人は人と関わり続ける。
それを無くしたらもう人じゃなくなってしまう。

リーダーはこれからも意味のないルール(歌や振付)を生み出す事でしか生きる意味を見出せない。
もし、その意味を見出せなくなったら彼はもう生きられない。
この街を一番謳歌しているように見えて、一番危ういのが彼に見えた。
とんとんは他の街で生きられないから、生きるために街の中を転々とする。
主人公はどう生きるのか。
分かりやすいハッピーエンドではなかったけれど、ラストシーンで主人公は「選ぶ事」の意味に気付いたように見えた。
そうだとすれば彼女も街を出ていくだろう。


ここまで全体的にモチーフを追ってきたけれど。
個人的に一番胸が痛かったのは、テルテルとリーダーの対比だ。
演者の年齢的にも結構な差があり、まだ道を選べるテルテルと、ここでしか生きられなくなったリーダー、という構図に見えた。
選ぶ、自己決定をする、というのは本当にエネルギーがいる。
車だって走り出す瞬間が一番エネルギー使うのだ。
飼いならされて、そのエネルギーを失ったらもう戻れない。
元々の病気(仮病)が会話に出てこないリーダー、「ここにいたくない」「自分はここにいる人間より上等だ」、そんなささやかなプライドすら折れてしまった。
(この公演、一部ダブルキャストで、もう片方のキャストではリーダーも若そうなのでここら辺の対比がどうなっているかは気になる)
年とともに、私もじわじわと「ここにいたくない」というエネルギーが失われ、「ここでしか生きられない」という諦めが優勢になってきているのを感じる。
いつか私も生産性のない無意味なルールを作ることに悦びを感じる側になるかもしれない。
それが心底恐ろしく感じられた。


ここにいたくない。
ここでしか生きられない。

普遍的な心の叫び。
それに対して、「ここをどう見るかはあなた次第よ」と突き放すのは簡単だ。
だけど、それはきっと間違っている。
「自分がどう見るか」じゃない。
「自分がどう見てしまったか」なんだ。
チョコチップクッキーを食べてみて、チョコ優位と感じるかクッキー優位と感じるか。
それは食べてみるまでわからないし、食べる前に自己暗示をかけて気分がどうにかなるもんじゃない。
まずクッキーを食べてみないと、自分の気分を知ることもできない。
人が自分の心を知るには、他者という触媒が必要。
アイデンティティは一人じゃ確立できない。
自己決定は人が人であるために必須条件で、でもその「選ぶ力」はどんな形であれ人との濃厚なかかわりの中でしか育たない。
監視社会だろうが自由がなかろうが、まず「社会」に属することがスタートライン。
疎外されたままでは人は人になる事ができない。

人は一人じゃ人になれない。

それこそがこの話の神髄だと私は思う。
ここ数年、それまでの人生の何十倍何百倍の濃い人間関係を生きてきた今だからこそ、歪んだ社会であっても社会とつながる事の大切さが身に染みた。
ボーボワールは言った。
人は女に生まれない、女になるのだ。
私はこう応える。
人は人に生まれない、人になるのだ。

手を伸ばした男と手を伸ばせなかった男@劇団YAMINABE「自称芸人」

劇団YAMINABEにまた行ってきた。
今回のテーマは「自称芸人」。
芸人だけど、結果を出せてないから「自称」でしかない。
日本語的には本来そういう意味だ。
だけど、アイデンティティがそこにあるからこそ、どんな状態でも「自称」する。
アイデンティティの崩壊と向き合う時、人はアイデンティティの向こう側にある「好きな物」に気付くのかもしれない。


主人公は売れないお笑い芸人、今井義隆。
今井はもともとサラリーマンだったのだけど、今の相方、金森友哉に誘われて芸人になる。
コンビ名は「ニッカニカ」。
コンビのキャラとしては金森の方が割と「とがってる」人で、今井の方が人当たりのいい感じ。
1場の時点でちょっと暗雲立ち込めるコンビ仲。
もうコンビ組んで20年、お互い他の相方は知らない。
小さな事務所に所属して、賞レースで勝ち残って売れる事を夢見る二人。

2人にはそれぞれ嫁と彼女がいる。
今井の嫁、美幸は元アイドルで、今は主婦だからエプロン姿が多い。
美幸のアイドル時代の「相方」、香奈も今は引退して主婦、すでに子供がいる模様。
金森の彼女、恭子は職業不明だけど、なんかロックっぽいTシャツとスキニーパンツがトレードマーク。
美幸の妹、葉月も今井家にちょこちょこ現れる。

そして芸人がもう1組。
ニッカニカと対照的な若者コンビ、ジンリッキー。
リッキー内藤は本を書いてる方、真面目な子でニッカニカのどっちともある程度交流があるのかな?
一方、相方のジン山下の方はすぐに緊張しちゃうポンコツ君、だけどどこか憎めない子。

芸人2組の所属する事務所の後輩、相川ナツミ、ユニセックスな美女、ピン芸人??
マネージャーの新村、どうもいじられキャラの締まらない人。
ニッカニカの熱狂的ファン、節子、年齢職業一切不明。

この話が展開していくメインの場所、居酒屋の店長の小泉とバイトのりん、エリアマネージャーの坂本。
小泉はりんにメロメロなんだけど、どうもLOVEっぽくない。
妹ですらないな…ペット?娘?姪っ子?
ああ、姪っ子が一番それっぽいな。
お笑い番組の「エライヒト」、プロデューサーの小山。

後半ちょい役で出てくる医者、これでレギュラーキャスト全員。
そのほかにゲスト芸人が日替わり登場、私が見た日はぼびぼび男さん。

今までは1つの場所で紡がれる物語だったけれど、今回はいろんな場所が舞台となる。
なのでステージ上にはいくつかの立方体と直方体が無機質に置かれ、上手側にキッチン的なカウンター、下手にドアが配置されるのみ。
具体物はほとんどない。
これが時々挟まれる回想シーンで効いてくる。
モノがないからこそダイレクトに伝わる感情がある。





まず話は居酒屋で今井がナツミと山下と飲んでいるシーンから始まる。
と同時に、ニッカニカについての簡単な説明が芝居の中で入る。
そこに現れる金森と内藤、流れる微妙な空気。
小泉とりんがボケ倒しても空気はよくならないまま、今井が美幸との結婚記念日を忘れていたことを思い出して店を飛び出す。
家に帰ると葉月が飛び出してきてキャンキャン今井を責める。
のんびりおっとりな美幸は怒ったフリしてもどうもハマらず、今井が花を買ってきていたこともあってなあなあに。
この美幸、今井に対して敬語だったりと結構古風な大和なでしこ?


さて、一方今井の相方、金森。
彼女の恭子は割とライブにも現れているらしい、でも金森が喜ばないからこっそりと。
お笑いでは取り置き枚数が人気のバロメーターなのに、彼女は来たがってるのに、彼女を自分の取り置きとして呼ばない。
ここに金森のキャラが出ている。
お笑い愛が強く、プライドが高く、弱みをさらけ出すとか人に頼るとかは大の苦手。
缶コーヒー片手に話す2人。
金森のネタが最近おかしいと問い詰める恭子、拒絶する金森。
恭子のコーヒーはブラック。


合間合間に挟まる回想シーン。
まずはニッカニカのコンビ結成シーン。
2人でグダグダと漫画を読んでいたら金森が突然言い出す。
「今井義隆、暇だからなんか新しいことしようぜ。芸人とか」
これが後々キーになるシーン。
簡単に言うと、この会話のリフレインがターニングポイントなんだ。
具体物がないからこそ、場所の差が消えて、心情の差がダイレクトに響いてくる。

回想シーンはもう1つ。
後輩が売れて喜ぶ今井、悔しくないのかよと荒れる金森。
この差に金森のキャラが現れている。


そして、ここから話が動き出す。

架空の賞レース、芸人-1グランプリ。
ここで決勝に残ればテレビレポーターの仕事が入ってくる!と昔なじみのプロデューサーに言われ盛り上がる今井とジンリッキーと新村。
そう、なぜか金森はここにいない。

賞レース用のネタの打ち合わせの時から金森はおかしかった。
なぜか新ネタを拒絶し、その理由も明確に答えない。
恭子に対しての態度と同じようなニュアンスの拒絶。
今井が怒っても折れない金森。
結局、新ネタは実現しなかった。

そして賞レースの準決勝。
金森は現れなかった。
失意の今井、新村。
飛び出していく恭子。
呆然と取り残される美幸と葉月。

その裏で、ジンリッキーは決勝に残った。
テレビリポーターの仕事を射止め、売れ始めるジンリッキー。
テレビを嬉しそうに眺める葉月。
そっとテレビから離れる美幸。
葉月と内藤の間に流れる絶妙な距離感、もどかしい恋の予感。
それは観客としては可愛らしく萌えるのだけど。
まだまだ若い葉月にとって、恋は気遣いを鈍らせるに充分だった。
本来の葉月は美幸の心情を思い、ジンリッキーの番組を美幸の前で観たりしない子だろうから。
冒頭の結婚記念日のシーンとの差がグッとくる。
そして美幸も、別にジンリッキーが憎い訳ではない、むしろ大事な人の後輩だから売れるのはうれしい事だ。
ただ、隣にいるはずのニッカニカがいない事が哀しいだけで。
葉月のほころんだ顔だって嬉しい、だから水を差したくない。
ただテレビの前から離れる事しかできない。

ニッカニカの唯一のファン、節子。
初登場シーンからぶっ飛んでるが、ニッカニカ愛は本物だ。
何度も何度も号泣して。
しまいには「ニッカニカなんて大嫌いだ」と叫んで。
それでも離れられない。



さて、金森は準決勝の日から失踪状態だ。
それでも今井はMCの仕事等々でなんとか芸人であろうとしがみついている。
だけどそれにも限界がある。
家計はずいぶん前から火の車だったのだ。
まずライブに出るにもお金はかかるし、ライブに出る日はバイトにも限界がある。
だから美幸はこっそり夜の仕事を始めていた。
それを紹介してくれたのは香奈。
香奈は怒り心頭だったけれど、美幸の頼みを断れなかった。
だから暴走した。
我慢できなくなった香奈は今井に迫る。
「美幸は夜の仕事始めてるのに、いつまでも芸人でいるな」と。

今井は夜の仕事と聞いても美幸を怒らない。
原因は分かっているから。
そして決意をする。

金森の失踪1年をきっかけに引退を決める今井。
とりあえず小泉の店で働かせてもらうことになる。
しかし小泉の店も今はゴタゴタしていた。
最近現れるようになった新任エリアマネージャー、坂本。
こいつが今回純然たる悪役。
バックボーンも何も描かれない悪役。
ここまでこじらせた経緯が語られないので、ラストシーンでこいつだけ救いがない。
なんせこの坂本、美幸の勤めるキャバにまでやってきてセクハラ三昧かましていくし。

エリアマネージャーに何を言われてもじっと耐える小泉、今井。
りんが暴走しようとしても全力で止める。
小泉も元は芸人だったから。
ニッカニカは、今井は、小泉の希望の光だから。
今井を支える事が小泉の「元芸人」としての想いだから。
小泉は笑顔の裏に涙を隠しているタイプ。
りんちゃんとの無駄にも見えるじゃれ合いが、その裏を思うとジンとくるシーンに変わる。

ジンリッキーも売れて万々歳だけじゃない。
内藤の父は芸人‐1の前に倒れていた。
その父がついに亡くなった。
でも、若手芸人として今仕事休めない。
追い詰められる内藤、叫ぶように想いをぶつける葉月。
いろいろ背負った内藤にとって葉月のその子供じみた真っすぐさはどれほど救いになったことだろう。


全員の運命の糸が交錯する時がやってくる。
今井の引退パーティー。
そこで香奈は美幸に自分の暴走を告白する。
美幸は香奈にお礼を言いつつ「今井が引退してよかった、なんて言うな」と反論する。
香奈はその時、なんとも言えない表情をする。
きっと香奈なら離婚するような状況なんだろう。
子供がいるいないもあるだろうし、一概に言える事ではないけど、確かに今井はいい夫とは言えない。
それでも、自分を愛してくれていて、愛情表現をしてくれていて、一生懸命でまっすぐで…その上美幸は今井を愛してしまっている。
答えがない夫婦の問題、ただ、少なくとも香奈の答えと美幸の答えは違っていた。
お互いそれを認められる2人だったから謝罪しあう事が出来たけれど、覆水盆に返らず。
もう今井の引退は決定している。

ここで話を動かすのは恭子だ。
今井を伴って病院へ。
そこにいたのは…金森。
全ての伏線がまとまる。
恭子のしたネタへの指摘も。
今井の書いた新ネタを拒絶したことも。
準決勝に現れなかったことも。
全ては病によるものだった。
金森の診断は、アルツハイマー。

恭子はそれを知っていた。
それでも金森の強い意志で失踪から一年、口をつぐんでいた。
だけど今井の引退を前に、居ても立っても居られなくなった。
再会の前に恭子の説明を聞いて今井は言う。
「裏切られたと思ってた。よかった」
「あいつも(準決勝に)来たかったんだもんな」
絶対の信頼を寄せている相手にしか言えない台詞。

病室で再会する今井と金森。
「おう、今井義隆」
2人の間でだけ通じるジョーク。

その後、恭子の部屋に転がり込む金森。
洗濯物の処理について金森に小言を言う恭子。
このシーンは日常に見えて、すごく深いと思った。
恭子は金森を腫れもの扱いしていない。
病気の事なんてまだまだよくわからない。
これから先どうなるかもわからない。
あと何年、金森が恭子を覚えているかもわからない。
それでも今目の前にいる金森は、恭子が愛した金森で。
だから小言も言うし、ご飯も作ってあげる。
生焼け丸焦げハンバーグ、らしいが。

話を回想シーンに戻そう。
ここで明らかになるのは、1場で既に金森は病気を発症していたという事実。
おそらくプロデューサーから話があった段階ではもう診断もおりていただろう。
だから新ネタを拒んだ。
恭子にも、今井にも、助けてと金森は言えなかった。
もし、恭子に準決勝の会場への付き添いを頼んでいたら。
もし、今井に「前日から泊まり込んでネタ合わせしようぜ」とでも言えていたら。
金森はそれが言えない男だった。
助けてと言えば、今井も恭子も、新村もナツミも小泉もジンリッキーも、節子だってなんでもしてくれただろうに。

この病気の告知の回想シーン、説明のためちょい役で医者が出てきて説明の際医者がコーヒーをいれてくれる。
恭子はこう応える、「ブラックで」。
ここでまた伏線が効いている。
既にネタが覚えられないぐらい病気が進行していた、最初の恭子との喧嘩シーン。
それでも恭子のコーヒーはブラックを買ってきていた。
そこに気づいて、哀しくて切ない。

医者は恭子の想いをあえて見ずに淡々と話を進める。
「治す薬はない、進行を遅らすことはできる。あと10年ぐらい日常を送れる人だっている」
けれど、「日常」じゃダメなんだ。
金森は漫才師。
ネタが覚えられなくなった金森は、もうアイデンティティを失ってしまう。


それなのに。
恭子とハンバーグの話でじゃれ合う金森。
だけど、心の中に渦巻く、芸人としてのアイデンティティの喪失と、今井への思い。
今井はそんなことも知らず、今日もお見舞いにやってくる。
アルツハイマーをジョークにする金森に容赦なくツッコミを入れる。
最初のコンビ結成シーンのように漫画を読む2人。
そこで金森が言い出す。
「今井義隆、新しい事始めようぜ。芸人とか」
結成シーンのリフレイン。
違うのは、今の彼らには「売れる未来」がもうないこと。
戸惑う今井に感謝の言葉を伝えながら、「最後にもう一度だけやりたい」という金森。
金森がネタを覚えられないのは今井だって金森だってわかっている。
金森は、ここで、ここにきて、今井に助けを求める。
「忘れても大丈夫なネタ、作ってくれや」

金森は変わってしまった、アルツハイマーでネタが覚えられなくなった。
もしこれがリアルなアルツハイマーならば、1場のシーン当たりの頃は焦燥感もヤバかっただろう。
だけど、金森は自分で変わる選択ができた。
助けてくれ、と手を伸ばすことができた。
その先には、恭子が、今井が、小泉が、新村が、節子が、ジンリッキーが、相川が、いる。

そしてラストシーン、小泉の店でのラストライブ。
登場人物全員集合。
MCは新村。
ジンリッキー、ゲストのぼびぼび男さんとネタをやって、トリがニッカニカ。
妨害をしようとする坂本。
ここで小泉が反撃に出る。
いくら芸人が嫌いでも、お金払っての貸し切りの妨害したらお前の方がヤバいだろ。
正論。
坂本は走り去る。
コイツは「助けて」と言えなかった。
ただ憎しみだけを募らせて。
あの温かい空間に指先まで触れていたのに。
ここでも飛び出す金森のアルツハイマージョーク。
これを笑う恭子の心中はいかばかりか。

ニッカニカのラストネタ。
金森が「絶対忘れちゃダメな事」を書いたノートを読み上げ、今井がツッコミを入れていく漫才。
まずこの形式を選んだ今井がカッコ良すぎる。
記憶はダメになっても、金森のセンスは死んでない。
そう信じたから、今井が金森のフォローをするネタにしなかった。
覚えられない分はノートを使っても、漫才で一番大事な「間」は金森にゆだねた。
この「背中を預けてる感じ」、これが響かない人なんているんだろうか。
坂本がこれを見られていたらよかったのに。


ネタ終わり。
ノートから顔を上げた金森。
始まるアドリブ。
「絶対忘れちゃダメな事。20年間好きなお笑いをやった事」
今井へ、恭子へ、感謝の言葉。
病気を呪いつつ、立ち上がって、立ち向かって。
最後にそれを笑いに変えて。
泣いてる今井に、それでも漫才の最後を言わせて挨拶終わり。
感動のラストシーン、これはもう文句なし。




ただ、私は既に「忘れても大丈夫なネタ、作ってくれや」からボロ泣き。
あの金森が助けを求めて手を伸ばしたこと、そしてその手を今井が迷わず掴んだこと。
それが嬉しくて愛しくて、もうダメだった。
恭子に身の回りのことをゆだねるとは違うハードルがそこにあったはずで。
それを乗り越えさせたのは今井への信頼と。
お笑いへの愛。
何を失っても、自分が自分でなくなり始めても、それでも最後に残ったもの。
それでも最後に、守りたいもの。
こんなに愛せる何かをもって生きられたら、どんなにか幸せだろう。




で、ここから個別のキャラおよび役者語り。
今回、初めて「背景の描かれない悪役」が登場する。
居酒屋のエリアマネージャーの坂本。
これを演じてる沼倉さんはもう何度もこのチームで演じてる役者さん。
だから表情で何かを訴えている気がする。
美幸のお店でめちゃくちゃ言って、だからライブの邪魔をしにきたラストシーンでも美幸にも他のメンバーにも拒絶される。
そりゃあもうそうなるよ、という展開なのだけど、坂本はここですごく傷ついた表情をするのね。
まるで親に見捨てられた子どものような。
それを見るとつい妄想してしまう。
坂本も本当は芸人志望だったんじゃないか、と。
だけど親の反対とかそういう事情であきらめた。
嫌々今の仕事してるけど、やりたいことを貫いてる人間やその支援者を見るとやり場のない怒りが燃え上がるんじゃないかな。。
もしそうだとしても、今回の話の時間軸での彼の行動はアウト。
だけど、私は坂本に救われてほしいと思った。

私も彼と同じ心を自分の中に飼っているから。
思うようにならない日々、まだ十代のうちに自分に才能のない事に気付いてしまった自分。
それを抱えたまま、やりたいことを貫いている芸人さんたちと関わっていると、時々叫びだしそうになる。
なんで私には誰も「お前はできるよ」と言ってくれる人がいないの。
なんで私には誰も「お前のセンスが好きだよ」と言ってくれる人がいないの。
なんで私には何を捨ててでても守りたい、大好きなものがないの。
叫びだしそうな心を抱えて、誰にもぶつけられない澱を抱きしめて。
それでも、私はここで生きていく。
そんな私だから、坂本の傷ついた顔に私まで心が痛かった。
そこまでの演技をする役者さんもすごい。
今回、表の主役が金森なら裏の主役は坂本だと言ってもいい。


そして、金森と恭子。
愛する人がじわじわと自分を忘れていく恐怖。
それでも普通にふるまう恭子。
最後までそばにいよう。
そう決めた恭子の迷いのない瞳。
芸人として尖りに尖っていても、恭子にだけは頼る金森。
強がりの向こう側で強く結ばれた2人。
えぐられた。
私の中にある後悔に、ずしんと来た。

愛する人に、助けて、ということ。
愛する人の強がりを見抜いて、お互い傷つくかもしれなくても踏み込むこと。
なんて怖くて、なんて美しくて、なんて哀しい選択。



この話を全編通して思うのは。
人は変わらずにいられない。
不本意な変化にも立ち向かって生きるしかない。
だけど、人はいつからでも変わることができる。
明るい未来が見えなくたって、何かを選んで何かを目指して何かを愛することができる。
「変わる」事ができた金森。
それを受けとめた、ニッカニカを愛した人々。
そして、1人だけ変わることができなかった坂本。

ストーリーとしてはこの対比はすごくよかった。
坂本もエリアマネージャーを辞めた訳じゃないだろう。
小泉が坂本も救ってくれたらいいなあ、と思う。
小泉は坂本の傷ついた心を見抜ける人だと、感じたから。
この役は湯浅さんの持つ「強面だけど乙女」という表面的な持ち味にとどまらず、なんとなく醸し出される父性に切り込んでいる。
小泉は坂本よりどう見ても年上だし、なんなら坂本は小泉に「こういう父でほしかった」的な思いで見ているような気すらした。
その微妙な関係性が素晴らしかった。
(その分、湯浅さんは稽古で地獄を見たんじゃないかと思うが…)


この劇団の作品は毎回すごく普遍的な心の傷をえぐる芝居。
だけど絶対に救いがあるから。
痛みと希望のバランスの絶妙さに通わずにはいられない。
きっと私は次も見に行く。
自分の傷に希望を見出すために。




終演後の一枚がこちら。
20180810y
若干居酒屋の店主感が残っているような?

わたしはそこにいたいから@劇団YAMINABE「表と表」

劇団YAMINABEさんの公演、「表と表」。
つぶれかけた蕎麦屋(メイン収入は居酒屋営業?)を舞台に、夫婦の破壊と再生の物語。
前回の「疑惑」が割と群像劇だったのに比べ、今回は夫婦がはっきりと主役。

まず最初に登場人物紹介的な場面。
ザ・いい人な気弱で馬鹿正直で蕎麦がまずい旦那がスモーキードライの高野智和さん。
その妻で気の強そうな美女が一木花蓮さん演じる奈央。
ナースを目指して学費をためるべくバイトに励むバイトの奈津が宮崎真緒さん。
主役の気弱な旦那、ユウジの親友二人、モテそうな方が沼倉計太さん演じる中谷で、モテなそうな方が吉井元さん演じる望月。
妻、奈津の兄が三須暁さん演じる翔太。
常連客の謎のジジイ、源さんはさかもとしろうさん。

で、その後借金取りの兄貴の中島多朗さんとその舎弟のおしんこきゅうの湯浅さん登場。
妻がつるんでるもう一人の美女、あやせいかさん演じる千尋は登場シーンからして怪しい。

さて、主役の夫婦はどうもすれ違っている模様。
旦那は妻にベタぼれだけど、言うべきところでガツンと言えないキャラクター。
妻は妻で奔放に飲み歩いている様子。
借金取りは兄の翔太が追い返してくれたものの、二人きりになると会話がかみ合ってない。
そんなぎくしゃくした空気の中、妻の奈央が借金を返すためのとんでもない提案をしてくる。

「不倫しなよ…私が訴えるから!」

美人局の男女逆転バージョン。
ユウジは妻にベタぼれ、不倫なんかしたくないし、でも妻にベタぼれだからこそ妻に逆らえない。
明らかに挙動不審になり、親友たちにも怪しまれる始末。

一方、奈央の怪しげな交友関係はさらに増える。
探偵?ジャーナリスト崩れ?なホンマユータさん演じる木村。
コイツ、明らかに奈央に気がある。
でも奈央はそれに応じる気配はない、それなのにどこかただならぬ空気。

とにかくユウジは不倫をしなければならない。
だから中谷に合コンを頼む。
そして自分の店で合コン開始。
いや、証拠集めとかは楽だろうけども。
繰り返すが、ここはつぶれかけの蕎麦屋。
女子ウケはしなさそうだが…
やってきたのは中谷の同僚、金沢藍さん演じる久美。
久美の飲み友達の不思議ちゃん、岡田果実さん演じる明菜。
ユウジの本命になる徳丸舞香さん演じる順子。


不思議ちゃんの明菜と、妙にハイテンションな望月、意味不明な意気投合。
ここら辺からコメディのエンジンかかってくる。
合コン中、カウンターで見守る奈央。
そこに入ってくる翔太、必死にごまかす奈央。
この翔太、どこまでわかってるかわからない。
初登場の借金取りを追い返すシーンからそうで、つかみどころがなくてふわふわしてる。
だけど、転んだ振りして相手の急所を突くようなそういう行動をする人なのよ。
本当はすごくすごくキレ者なんじゃないかな、と感じさせる。
最後までふわふわのままなんだけどね。


そして合コンやってる合間合間に出てくる借金取り二人。
神出鬼没の源さん。
コヤツらが絶妙に話を引っ掻き回してくれる。
で、合コン後は木村ときな臭いシーンがあったり、奈央とユウジの深刻なのにコメディなシーンがあったり。
妻に女の口説き方を教わる夫、ってシュールですらない何か。

合間合間に借金取りは仕事する。
とはいえビシっと決められない舎弟、セカンドバッグの小銭を回収するだけでも大わらわ。
源さんもろくでもないことしつつ、でもこの店の蕎麦を愛してることをアピールするために借金取りと対決する。
源さんが格闘技経験者だと?
どんなドラマがあるんだ、このジジイ。


そうこうしているうちに時は流れ、ユウジは心の中に重たいものを抱えながら、順子とのデートに臨む。
だけど、最後の最後でワルになれないんだ。
順子の語る過去の恋愛話、既婚男に騙された話を聞いてるうちに、自分の計画に順子を巻き込めなくなる。
で、順子を突き放して自己嫌悪。
順子はユウジの計画を知らないから本気で傷ついて、ここで久美たち登場。

中谷はずっと行動のおかしいユウジが何も話してくれないことに、ついにキレる。
そして明かされる不倫慰謝料計画。
どう考えてもめちゃくちゃな計画。
ここにきて第三者の冷静な意見が入って、ようやくこの計画はちゃんと頓挫する。

さて、不倫しないとなっても借金問題は解決してない。
ここで借金取りコンビ再び暗躍。
冒頭の怪しげな女、千尋も何やら再登場。
話がこじれにこじれて、どん底になった時、やっと奈央の真意が見えてくる。
本当はユウジを愛していると。
以前に流産をしてしまった時から、ユウジのやさしさが痛かった。
慰謝料で借金を返すには夫婦が再構築では額が足りない、離婚前提の計画だった。
糸を引いていたのは怪しい女、千尋。
それを聞いてユウジは奈央を赦す。
抱き合う2人。

夫婦の誤解は解けた。
でも借金問題は変わらない。
タイミングよく表れた木村の情報を得て、中谷や久美たち合コンメンバーと合わせて一芝居うつことに。
ここからは怒涛のコメディ展開。
ラスボスの白石将吾さんが出てくるまでは。

再び合コンメンバーで呑みつつ、ユウジの浮気の話を千尋に聞かせて計画成功と思わせる。
協力してくれないんじゃないかと思われた順子も協力してくれて、でもまぁ望月中心に芝居はポンコツ。
そのどうにもポンコツな芝居に乗る千尋。
借金取りコンビも彼らの仕事をして、さて、大団円となりそうな鯛民で現れるラスボス、千尋の旦那。

ナイフ持ったラスボス、人質とられて絶体絶命。
そこに現れる源さん!
格闘技で磨いた技で形勢逆転!
そしてわちゃわちゃと人物が増えてきて、ほぼ全員揃ったところでユウジが「店を手放して借金を返す」と宣言する。
ラスボスからお金をせしめることだってできるのに、それは被害者に返して、自分の借金は店を売って返す、と。
ここで借金取りの兄貴が「馬鹿なヤツだ」って言うのよ。
たった一言なんだけど、全てを収束させる大事な一言。

どこまでも夫を見捨てない千尋、憑き物が落ちたラスボス。
本当は中谷たちの芝居が芝居だってわかってた。
だけど、これ以上夫が過ちを重ねないためにその芝居に騙されたふりをした。
ここで、もう一組の夫婦が破壊と再生をする。

そして後日、エピローグ。
借金取りコンビが店を買い取り、ユウジと奈央が店に立つ。
奈央の背中には赤ちゃん!
登場人物みんながこの蕎麦屋をたまり場にしている。
ここに、一つの「居場所」ができている。

これは夫婦の再生の物語。
同時に、「居場所」を失った人々の再生の物語。

やっと向き合うことのできたユウジと奈央、(店にはいないが)千尋と旦那。
この事件を通して店内での地位が上がり、翔太と飲み友達になっている源さん。
いつの間にか久美や明菜も常連で、中谷や望月もここにいる。
夢をかなえて、真っ先にこの店に報告にくる奈津。
完全にリラックスしてる借金取りコンビ。

これはユウジと奈央にとってだけではない、全員のハッピーエンド。




さて、個々の役語り。
この話において、このご都合主義が服を着て歩いてるような源さんは重要だ。
源さんが力技でハッピーエンドにねじ伏せていくんだ。

本当は、私は源さんは「店をユウジに託したユウジ父」の親友だと思ってる。
そう思わせられるだけの温かい眼差しをするんだもの。
ユウジも、奈央も、奈津も、源さんは我が子のように思ってるんじゃないかと。
クソジジイだけど、ここ一番で店のために体を張ってくれるのは、だからじゃないかと。
本当に言動はクズだけど、奥底にある温かさ。
これを表現できるさかもとしろうさんはすごいなぁと思う。


そしてもう一つ、めちゃくちゃ難しいだろう役。
バイトの奈津。
この奈津、ユウジにほのかな恋心はありそうなんだよね。
飲み歩く奈央にいい顔してないし。
だけど絶対それを表に出さない。
それは奈央の事も好きで、ユウジと奈央の夫婦が好きで、しかももしユウジが振り向いてくれても不倫するユウジは奈津の愛するユウジじゃないから。
告白しようが告白されようが絶対報われない迷宮の恋。
その恋を表に出してはいけない、でも匂わせないと奈津の行動のつじつまが合わない。
ギリギリのラインを上手く突いていて、少女漫画的トキメキまで味わえた。




ここからは私の妄想。
借金取りコンビ。
湯浅さんは安定の「ゴツい見た目に合わず兄貴になつく子犬」、兄貴の方はどう見ても役に立ってない舎弟をそれでも連れ歩く。
2人とも「借金取り」なんて本来向いてないひとなんじゃなかろうか。
だからこそ、ラストシーンの蕎麦屋でメインキャストみんなで呑んでるシーンが嬉しい。
アウトローな世界で生きて、居場所のなかった2人がやっと居場所に辿り着いた。
ラストシーン、多朗さん演じる兄貴の表情の柔らかさ。
この人、本当にいい芝居をするわ。
徹頭徹尾キャラが変わらないのに、何か変化を感じる湯浅さんの舎弟も良し。


ユウジは一見気弱で、飲み歩く妻にもビシっと言えない男。
女の口説き方の一つもわからない朴念仁。
だけど、愛する妻の過ちまで全て受け入れた男。
だからみんなの居場所になれるんだ。
蕎麦がどんなにまずくとも、ユウジの店には人が集まる。
ユウジの周りには、温かいい場所ができる。
こういう一見ヒーローじゃないのに求心力のある人物像を演じきれる、高野さんの「人たらし力」は素晴らしい。

2人の「妻」、奈央と千尋。
どっちも一度は夫の愛し方を間違えた。
奈央は優しさから逃げながら、優しさに甘えて試し行為をしながら、夫を試す自分にさらに傷ついた。
千尋は変わりゆく夫におびえながらそれでも夫を愛し信じていたのに、その愛も信頼も言葉にできずにいた。
包み込まれる妻、奈央。
包み込む妻、千尋。
2人の対比が面白い。



この作品、キャッチコピーに「不倫」という言葉が出ているけど、本当のテーマは「居場所」だと私は思う。
全員が居場所を得られる結末で良かった。
不倫というのもキャッチーで現代的で目を引くテーマだけど、「居場所」もしくは「コミュニティ」っていうのも社会的に面白いテーマ。
今回はやや社会派っぽくて、これもこれで良かったわ。
次回ももう決まってるらしく、かなり楽しみ。

終演後には借金取りコンビの写真ゲット。
IMG_0415.jpg
まずはビッグスマイル!

次は役の感じで。
IMG_0416.jpg
一瞬で化けてくれるあたり、さすがです。

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プロフィール

朽葉

Author:朽葉
このページの管理者、朽葉。
とにかく生のステージが好き。
お笑いメインに、芝居、宝塚と西へ東へ。

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