朽葉の日常~お笑い時々宝塚~
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朽葉姐さんのブログ。 お笑いと宝塚中心に、好きなものを好きなだけレビューしていきます。
ja
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スパイスは違えども@ピッコマ漫画感想詰め合わせ
最近のピッコマ生活。転生モノが相変わらず多いし、それ系もたくさん読むけど。・きのう何食べた?言わずと知れた名作。丁寧な日常描写、美味しそうな料理。ただ、シロさんの親子関係がリアル。「同性愛を受け入れたい気持ちはあるけど受け入れられない気持ちもある。理解したいけど息子にしょうめからアレコレ聞けないから理解の方向がズレてて、愛が暴走して周りにも迷惑かけてる」うわぁ、うわぁ、うわぁ……ってなった。理解のあ
転生モノが相変わらず多いし、それ系もたくさん読むけど。
・きのう何食べた?
言わずと知れた名作。
丁寧な日常描写、美味しそうな料理。
ただ、シロさんの親子関係がリアル。
「同性愛を受け入れたい気持ちはあるけど受け入れられない気持ちもある。理解したいけど息子にしょうめからアレコレ聞けないから理解の方向がズレてて、愛が暴走して周りにも迷惑かけてる」
うわぁ、うわぁ、うわぁ……ってなった。
理解のある親より、頑なに認めない親より、罵倒する親よりリアル。
リアルさが辛い。
「他人事」で見られない辛さがある。
・曽根まさこ(傑作集、短編集他)
この人の漫画に今ハマってて、色々読んでる。
「人の心の怖さ」の描き方がすごく好き。
ブローニイ家の悲劇も良かったけど、蜜の家も好き。
ラブコメもいくつか掲載されてたけど、あの時代らしいラブコメ。
・おつぼみ様
「食」と「恋」と「お仕事」のよくある設定ながら、絵が可愛い、キャラの笑顔が可愛い。
とにかく癒される。
仕事に疲れてる人には必見。
転生モノとしては、
・魔道具師ダリヤはうつむかない
これがダントツかなぁ。
サブキャラの魅力、前世の知識の活かし方のゲームバランス的な部分、お仕事モノや食マンガとしての面白さ、「貴族」とか「魔法」の整合性のレベルの高さ。
私が読んだ中では他の追随を許さない圧倒的1位。
ピッコマ入れるなら、まずコレをお勧めしたい。
この魔道具師ダリヤと「ずたぼろ令嬢は姉の元婚約者に溺愛される」は是非コミカライズと小説を読み比べてほしい。
どっちもすごく良いんだけど、どっちも良いからこそ「小説と漫画の表現技法の違い」を痛感できる。
物書き志望なら、絶対この2作は勉強として見ておくべきと感じた。
ただあれだ、「死の場面から戻っての復讐譚、ついでに溺愛されました」系は、もう、飽きた……
一つ一つは面白いんだけどね。
なんつーか、カレーは美味しいけど毎日カレーは無理だ……]]>
漫画
2023-11-09T23:24:17+09:00
朽葉
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若さの定義はゆるゆると@ヤングフレッシュショー
キングアーサーの掲載日間違えたので、ライブの開催日じゃない日の枠にこのブログは入れることになってしまった。ま、個人的なこだわりの話なのでまぁいっか。すごく久々にお笑いライブの話。ファルシオンさん&えんどれすさん主催の「ヤングフレッシュショー」。平均年齢が明らかに30超えているけれども、一応平均寿命で考えたら人生の前半だから「若い」のか??さて、ネタの感想を。えんどれすさん。「可愛げのある爺さん」と
ま、個人的なこだわりの話なのでまぁいっか。
すごく久々にお笑いライブの話。
ファルシオンさん&えんどれすさん主催の「ヤングフレッシュショー」。
平均年齢が明らかに30超えているけれども、一応平均寿命で考えたら人生の前半だから「若い」のか??
さて、ネタの感想を。
えんどれすさん。
「可愛げのある爺さん」と「軽いノリで仕事をする若者」というセットはこの2人のハマり役だなあ。
今回は声優とCMの制作者?だったけど、他のパターンでもいけそう。
途中アドリブいれまくってたらしく、なんともユル~い空気感に。
それが2人にとってここが「ホーム」なんだって感じでそれはそれで悪くないと感じた。
あの爺さん声優、絶対孫とか猫にもデロデロなタイプだよな~。
妄想が膨らむいい素材。
ファルシオンさん。
なんというか、この人たちの「なんでも下ネタに持ち込みつつシンプルなモテたいに収束しない」能力はすごい。
今回だって、競馬の話から絶対に着地しないであろう所に着地する。
上手いなと思ったのは、競馬がほぼわからない私でもちゃんとネタが理解できるところ。
専門用語が少なくて、入りやすい。
前半の「負けた~帰れないかもしれないけど全財産行くぞ~うお~負けた~」の部分も妙なリアリティがあって面白い。
だけどラストの着地点こそが彼らの独自発想。
ソバガラマクラさん。
テラシマシュウジさんの発想はいつだって異次元。
それは大喜利ライブでもピンネタでもいつだって発揮されている。
ツッコミが加わることで異次元との間にかけ橋ができるのはいいなあ。
自殺志願者に「バズりそうな自殺方法」を授けて動画を撮ろうとする男。
会話だけじゃなく、次々に変な小道具が出てくるのがイイ。
本当どこから出てくるんだこの謎のアイデア…
とんたくとさん。
音を使ったコント。
バーのカウンターでグラスを滑らせるバーテン、受け取らない客、割れるグラス。
それだけのシンプルな場面設定の中、動きと表情で笑わせる。
吉田さんの表情がすごくいい。
何考えてるかわからないし、絶妙に憎たらしい。
あの憎たらしさをもっともっと見たくなる。
二階堂旅人さん。
デスゲームのゲームマスターが雇われというのはまた…
現代的でせちがらいなあ。
声の使い分けがとても効果的で、「ゲームマスター役を演じているだけ、これは仕事」感がすごい。
しかもネタのオチでゲームマスターが意外にもまっとうな人間関係をもっている事に驚く。
雇われで常識的なゲームマスター。
声がそれっぽかったばっかりに…
ネタ後のトークコーナーもゆる~い&若くない感じ。
もうすぐ20回らしい。
記念回も楽しみ。]]>
お笑い
2023-01-31T23:25:27+09:00
朽葉
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少年の物語の出来始めの祖@仮面ライダー
実は一月は結構アクティブで、「仮面ライダー展」なるものにも行っていた。池袋のサンシャインシティでやったやつ。あんまり「ご報告」的な事やるブログでもないしそういうキャラでもないので書いていなかったけど。このブログ2007からやってて今15年半、その間にサラっと結婚していて、今夫が1人いて、特撮系はその夫の趣味。(少し前の記事にジオウがあるのもそういうこと)私自身、特撮育ちの子供じゃないけどSFというジャン
池袋のサンシャインシティでやったやつ。
あんまり「ご報告」的な事やるブログでもないしそういうキャラでもないので書いていなかったけど。
このブログ2007からやってて今15年半、その間にサラっと結婚していて、今夫が1人いて、特撮系はその夫の趣味。
(少し前の記事にジオウがあるのもそういうこと)
私自身、特撮育ちの子供じゃないけど
SFというジャンルは好きだから。
それで自分もみたいと思うものだけ、夫の趣味に付き合ってたりする。
その中で、わりと私の好みに合うのが仮面ライダー。
「望まぬ力を得て、葛藤する」とか「異形であることの苦悩」とか、私好みの要素が多い。
SFとしてもタイムパラドックスに正面から挑んでる作品とか本当に面白かったし。
で、サンシャインの仮面ライダー展には夫と出かけて、ランダム配布の入場者特典では私が昭和ライダー引き当てて夫もご機嫌だった。
展示内容としては過去作の紹介モニターと、実際に使用された衣装や小道具、等身大で作られたライダー像がメイン。
藤岡弘のメッセージとか使用されたバイクとかもあった。
展示とは別に、入場待ち列スペースに平成ライダーのポスター展示もあったよ。
(私はド平日にいったので入場待ち列なんてなかったけど、受付のお兄さんが「あっちのポスターも見てってね」的な誘導をしてた)
昭和ライダーはまだ1作品丸ごと見てるものはないんだけど、紹介を見る限りものすごく私好みっぽい。
基本「望まぬ改造手術を無理やりされてしまい、本人の意思関係なく闘いの日々に放り込まれる」話なんだよね。
しかもビジュアルが平成ライダーよりずっと虫というか爬虫類ぽくて、「異形」というのもよくわかる。
実際に使用された衣装が「ベルボトム」だの「パンタロン」だの上下デニムとかで、時代を感じるのも「おお~」となったわ。
で、ここまでが前置き。
本題は、その仮面ライダー展で見てほしくなったもののその場で買えず最近やっと入手した、石ノ森章太郎の最初の「仮面ライダー」の漫画よ。
電子書籍なのだけど、アイパッドで拡大できるからこその魅力もあるね。
この漫画、すごくベタの使い方がカッコイイの。
背景を細かく描かずに黒ベタで、ライダーだけが浮かび上がるような作画が何度か出てくるのだけど。
それがとってもカッコイイ。
石ノ森章太郎はすごく筆が早かったらしく、この背景の書き込みをしない大ゴマの使い方もそういう目的かもしれない。
ただ、平成や令和の漫画にはない重厚で強く訴えかける作画が最高だと思った。
一番始めの仮面ライダーのコミカライズなので、当然出てくる悪役はショッカー。
ショッカーが新しい怪人を作ろうとして改造手術をしたが、自我が残ってたから脱走してショッカーを屠る者となったのが仮面ライダー。
「この力をどう使うべきか」
「自分はもう人間ではない」
という葛藤がもう素晴らしい。
それを乗り越え、敵を倒していく姿がカッコ良すぎる。
さらに後半には2号ライダーが出てくる。
それがまた全然違うキャラで魅力的。
最後の共闘シーンが熱い。
さらに言えば、「敵の能力を利用して敵を自滅させる」とか「同じような能力だけど練度の差が勝敗を分ける」とか、今のバトルもので熱いシーンがどんどんでてくる。
まさに少年版、物語の出来はじめの祖。
怪人の哀しさもいい。
ショッカーに洗脳されているとはいえ、彼らももとは人間だ。
ちゃんと個性があり、考え方に個体差がある。
恋人同士だった2人が改造され、ライダーに倒される最後、怪人ネームじゃなく人間としての名前で呼び合うシーンは最高だった。
基本的に怪人もライダーもさらわれて目が覚めたら改造されている。
彼らを分けたものはなんなのか。
それは「ライダーだった本郷が強いから」なのか。
怪人がライダーになれず洗脳のままに怪人になったのは、彼らの弱さなのか、彼らの咎なのか。
「自己責任論」が強い今、そこに切り込む作品があってもいいかもしれない。
この漫画読んで改めて「ライダーとショッカーの技術的なところは同じ」というのがわかった。
さっき書いた「恋人同士だった2人が改造された」話のように、怪人には女もいる。
ということは昨今のライダーで出てくる女性ライダー、あれは原典に立ち返ってもおかしくないのだな、と。
怪人に改造できて戦力になるのなら、ライダーにもなれるはずなのだから。
ゼロワンのゆあちゃん、リバイスのさくらと最近わりと出てくる女性ライダー。
作品としてキャラとして彼女たちは好きだけど、女性ライダー自体は現代のポリコレ感覚で登場したような気がしていた。
原典を読んで、原典の解釈として女性ライダーが「アリ」だと知れたのは大きいな。
クウガ、ジオウ、ゼロワン、リバイス、と見てきたけれど、今回漫画を読んでそれぞれが「原典」をリスペクトしているのもわかった。
「望まぬ力」に戸惑いながらその力を人類のために使おうとする姿。
「怪人」と「ライダー」が紙一重である、という危うさ。
そして怪人たちにとってライダーに倒されることが彼らの「人間性の回復」であるという哀しさ。
「蜘蛛男」が最初の敵として登場する確率の高さ。
一方で、怪人として登場したアギレラがライダーサイドで闘うようになるリバイスの新しさ、という新しい気付きもあった。
「怪人だって本人次第でライダーになれる」、技術的にはそうだけど、なかなか心情的に難しいところを乗り越えたのはすごい。
とくにアギレラは「洗脳された」という要素が強いキャラ(「怪人」ポジションの組織で幼少期から育った子)だから。
リバイスは極めて現代的で、それは「パールピンクのライダー?!」みたいなところだけじゃない。
仲良し家族でも家族の間に葛藤があったし、怪人ライダー双方の使う力でもある「人の中の悪魔」は消すべきものじゃなく共存すべきものとして扱われていた。
だけど、平成・令和ライダーにあまり見ない「昭和ライダー」の要素として、「異形の哀しみ」があるな、と。
昭和ライダーは時に「自分はもう人間じゃない」という嘆きを見せる。
人間である恋人との関りになやんだり、もっと根源的なアイデンティティの揺らぎがあったり。
家族みんなでライダーやってる状態のリバイスにはない孤独を昭和ライダーは抱えている。
クウガ以降は主役が経験浅い俳優になったせいもあってか、「おやっさん」と呼ばれる主人公の精神的父親(血縁の有無は問わない)ポジでベテラン俳優が入るようになる。
おもちゃを売るためにライダーもわりと初期から複数体制になりがちであり、「孤独なライダー」という描写は難しいのだろう。
さらに言えば、平成以降は虫系の生身っぽいライダーより、アーマーっぽい造形が多い。
アーマー系もかっこいんだけど、あれだと「改造」って感じじゃないね。
本人の身体が変わってしまった、って感じはどうしても薄れ、「新しい力を得た」「変身する能力が追加された」感じになる。
というわけで次は思い切り孤独なライダーが見たいなあと思う。]]>
漫画
2023-01-30T23:10:22+09:00
朽葉
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ワンピース・ミュージカル@ONE PIECE FILM RED
ワンピースの映画を見てきた。あのルフィが海賊王を目指すONE PIECE。コミック100巻超えるまでノータッチで来て、しかもコミック読まずアニメも見ずにいきなり映画館へ。なんでこんなことになったかというと。Adoが好きだから。彼女が歌う芝居歌が気になって、しかもそれを最高の音響で観たくて、何にも知らないまま映画館で見てきた。結果、予備知識なしでも十分楽しめた。本当に「ルフィ他メインキャラの顔と名前ぐらいしか知
あのルフィが海賊王を目指すONE PIECE。
コミック100巻超えるまでノータッチで来て、しかもコミック読まずアニメも見ずにいきなり映画館へ。
なんでこんなことになったかというと。
Adoが好きだから。
彼女が歌う芝居歌が気になって、しかもそれを最高の音響で観たくて、何にも知らないまま映画館で見てきた。
結果、予備知識なしでも十分楽しめた。
本当に「ルフィ他メインキャラの顔と名前ぐらいしか知らない」状態。
映画だけで完結する世界線ぽいのがよかったかな。
ざっくり感想を書いていくと、まず今回の映画は「ミュージカル」としてみるといいと思う。
ウタ(Adoが歌唱)は歌で世界?結界?的なものを作り、共同幻覚を起こせるような能力者。
映画のストーリーの9割は彼女の共同幻覚の中で進んでいく。
映画が始まってメインキャラがライブ会場に集まったらすぐライブシーンになる。
一曲フルコーラスでAdoの歌が入る(新時代)のがライブのスタートとなり、そこからのシーンはほぼ全てライブという名の共同幻覚(ウタウタの実の能力)だ。
これは完全にミュージカルの手法。
一部の感想に「フルコーラスでAdoの歌が入る」ことに批判的なものや、映画全体を通して大事なシーンにはAdoの歌になることへの批判があったけど、これはAdo推しなんじゃなくミュージカルとしての演出として考えたほうが話が分かりやすくなる。
(もちろんミュージカルのやり方にするとAdoの歌が際立つ&歌唱と声優が別人である事への違和感を起こしにくいという意図もあるだろうけども)
というか、「歌の挿入方法がミュージカルのやり方で入る」という先入観で見てたから、私でも「重要人物」「重要シーン」が追えたともいえる。
ま、歌舞伎もなるワンピース、ミュージカルにだってできるよね。
ワンピースファンにとってわかりやすいよう、漫画に例えてみると。
漫画では「ギザギザの吹き出し」を見れば、「感情を大きく動かされた人物の大声の台詞」だと誰もが認識できると思う。
一部の全台詞が歌になっている例外を除けば、ミュージカルも歌が入るのは「重要なシーン」もしくは「人物の気持ちが大きく動いたシーン」を意味する。
ライブの始まりの時点ではそれが共同幻覚と明かされていないけれど、間違いなく最も重要なシーンだから、最もガッツリ歌が入ったんだ。
だからワンピースを知らない私が見ても「今重要なシーンだ」と即わかり、ある意味「初心者に優しい」映画だったと言える。
前置きはここまでにして。
今回、ウタは「悪役」なのか?というのが私に残った疑問。
確かにやらかした行為は悪い。
世界の大部分の人口を自らの作り上げた共同幻想に閉じ込めて、それをユートピアだと主張するわけだから。
ただ、ウタ自身はそれを正しいと本気で信じているし、そう信じるにいたったのは彼女のファンの言葉があったからだし。
ウタを止める必要があったのは間違いないが、それをシンプルに「悪」と呼んでいいものかどうか。
ウタの生い立ちはというと、ルフィの幼馴染という事になっている。
まだルフィが船に乗せてもらえない時期に、「海賊団の音楽家」としてシャンクスの船に乗っている。
(たぶんルフィより1つ2つ年上なんじゃないか?という関係性)
いろんな「勝負」をしては、ちょっとズルをしてウタの勝ちにしてみたり。
その時のウタの「負っけ惜しみ~」という台詞が、ウタの暴走が始まってからも出てくるという演出は秀逸だと思った。
最初ウタは「シャンクスの娘」と紹介されるが実際には血のつながりはなく。
幸せな「海賊団の音楽家」時代も長くは続かない。
「音楽の国」と呼ばれる島で、その歌声で大事件を起こしてしまったウタ。
そしてシャンクスはその事件を自分の咎とするため、ウタの音楽の才能と心を守るため、ウタをそこに置いていく。
ウタはその国唯一の生き残りの音楽家とたった二人で音楽のレッスンを受けながら暮らしていた。
その後、ウタは配信ライブという手段を手に入れ、ファンとオンラインでつながる方法を手に入れる。
学校にも行かず新聞もない環境で、「養父」的な思いを持っているものの愛情表現は乏しそうな音楽家と二人暮らし。
ウタの心は成長を止めていたんだろう。
しかも「父」だったシャンクスには捨てられたと思い込んでいた&オンラインで会話したファンに海賊の被害者が多くいたことでウタは海賊を憎むようになる。
幼い感性のまま、ファンの言葉を真正面から受け止めたウタの暴走はここから始まっていく。
「自分の能力で新しい世界を作ろう、そこでは海賊なんかいない、幸せにみんなで過ごそう」と。
ある意味これはとても現代的なテーマだ。
ネットでしか世の中とつながれない引きこもり。
豊かな才能を持っているけれど、それを活かすには幼すぎる心。
ウタは共同幻覚にみんなを閉じ込めるけど、そのためにウタ自身も多大な犠牲を払っている。
ていうか共同幻覚の完成は「ウタの死」だ。
そのために毒キノコを食べている。
ウタは安全地帯にはいない。
みんなを唆す悪じゃなく、本気で新しい世界を作ろうとして、その能力はあって、だけど王になる能力はなかった。
最後、いろんなキャラの能力をコラボ使用した結果、ウタが召喚しちゃったラスボスが倒され、ウタの共同幻覚も壊される。
そこにはシャンクスの姿があって、シャンクスは真実を明かし、ウタを救おうとした。
(解毒剤を飲むにはギリギリのタイミングだった)
けれどウタは最後に一曲歌い、共同幻覚をきちんと終わらせての死を選ぶ。
ウタは決して無責任な扇動者ではない。
全てが幼かっただけ。
そしてそうなったのは、孤独な環境と、彼女を守る方法を間違えた大人たちの行動と、周りの想定を超えて高すぎた彼女の能力のせい。
結局、ウタが死んで、「裁く」ことができなくなってしまったのは、全員にとって救いだったと思う。
映画のエンドロールでは彼女の歌をCD的なもので聞く人々の姿や、子どもたちの音楽教師として再起しようとする音楽家の姿があった。
ウタの罪を暴き、犯罪者にしていたら守れなかった笑顔がどれほどあったか。
そんな清濁併せ吞むような終わりはちょっと想定外だったので驚いた。
ただ、「ウタが救われる世界もあったはずなのに」という思いは残る。
私はもういい年で、ウタに共感する側ではなく、ウタを孤独に幼いままに育ててしまった大人たちの側の人間だから。
音楽家がもっとウタの「心」に向き合っていれば。
シャンクスがウタに事実を隠すというのではない、守り方をできていれば。
ルフィがウタのSOSに気付いていれば。
映画の始めの方、おそらくライブシーンに突入してから、ルフィ一味のいる桟敷席的なところには大量の食材が届く。
(サンジが料理してルフィが食べまくる)
その中に、ウタが食べる毒キノコが一個だけまざってるんだ。
映画を見た時にはまだ「ウタの歌で共同幻覚は発動している」と分かってなかったので、きのキノコが出てくるシーンが既に幻覚の中だという確信はないのだけど。
でも幻覚の中なら確実に、そうでなくても高い確率で、これはウタがルフィに自分のやろうとしていることをこっそり教えたのだと思う。
オンラインの声に後押しされて、でもそれだけじゃここまで大それた「革命」に絶対の自信が持てなくて、きっと怖くて壊れそうで。
キノコを見たルフィが気付いて、止めてくれるか肯定してくれるかしてほしかったのじゃないかと。
そしてルフィは気付いていたんじゃないかと思う。
一瞬顔を伏せて、何も言わずにキノコをポイっとするから。
ただ、その時の心情は読み切れない。
いや、見た人が解釈すべきなのかもしれない。
もしくは「ルフィとウタにしかわからない無言の会話」であることが重要なのかもしれない。
ルフィとウタの「幼馴染設定」は随所で生きているのだけど、一番効いているのはウタの「負っけ惜しみ~」だ。
幼い頃の本気だけど遊びの勝負での、この台詞。
それがお互い道を違えてもう引き返せないところで、ルフィの説得に対してウタがこれを返すんだ。
2人の関係性の象徴でもあり。
大人になったルフィと時が止まったウタの対比でもある。
そして、これはミュージカルでも「リフレイン」という形である手法だったりする。
若い二人が愛を誓う歌が、浮気やら息子の死で夫婦関係ズタズタで別居している時に「戻っておいで」「いやよ」というやり取りで同じメロディ違う歌詞でもう一度出てくる。
同じ歌を使う事でより対比が鮮やかになる、という作品がある(ミュージカル見てる人なら何のことだか一瞬でわかるレベルの有名超大作)
本当、この映画作った人はミュージカルを相当勉強したんじゃないかなあ。
「歌」を活かしつつ、ワンピース初心者にもわかりやすい作品にするために。
その狙いは大成功してると思う。
結局映画館には一回しか行けなかったけど、可能ならリピートしたかったし、テレビでやったらまた見ると思う。
映画見た後、周回遅れでワンピースのマイブームきてワンピースの考察やら漫画の無料公開(公式の)やらいろいろ見たけど。
ルフィ、ナミのSOSには気付いて即行動してるんじゃん…
ウタは、ウタも、救ってやってくれ~~~となった。
まぁウタにはシャンクスなのか、そうなのか…]]>
アニメ、テレビ、声優
2023-01-29T23:01:34+09:00
朽葉
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まっとうな人に幸あれ@キングアーサー
児童文学バージョンの文庫が私と「アーサー王」の最初の出会いだった。本なので、ビジュアルはないし、読んだ時はまだ小学生だったので素直にアーサーをカッコいいと感じていたと思う。そこから月日は過ぎ、宝塚で上演されたのを(映像で)見た。その時カッコいいと感じたのはガウェイン。中の人のカッコよさ+師範的なキャラの魅力。さらに月日は過ぎて今回。今回はモルガンがとうこちゃん(私自身の愛着もあるし、役の比重も大き
本なので、ビジュアルはないし、読んだ時はまだ小学生だったので素直にアーサーをカッコいいと感じていたと思う。
そこから月日は過ぎ、宝塚で上演されたのを(映像で)見た。
その時カッコいいと感じたのはガウェイン。
中の人のカッコよさ+師範的なキャラの魅力。
さらに月日は過ぎて今回。
今回はモルガンがとうこちゃん(私自身の愛着もあるし、役の比重も大きくなってる)ことが私の感想には大きく影響している。
モルガンはただの「魔女」ではなく、生身の人間として描かれている。
家族もいたが奪われ、復讐に燃える女。
そのターゲットは、アーサー。
今回、「アーサー王の父、ユーサー王の罪」がガッツリ描かれている。
ユーサーが臣下の妻を愛してしまい、だまして彼女を抱く。
その結果生まれた不義の子がアーサー。
アーサーを産んだことで臣下の妻は亡くなり、それを見ていて心が壊れたのがモルガン。
(モルガンはアーサーの父親違いの姉)
ここで「アーサーに復讐だ」ってなるのが西洋っぽいよなと思う。
実際プログラムのインタビューでとうこちゃんも「アーサーに罪はないのに」みたいなこと書いちゃってるけど。
我ら日本人の感性では、「不義の子は生まれながらに罪を背負う」的な感覚は薄いよね。
子どもが成人してても子どもが犯罪犯したら親が謝罪会見するケースは今でもあるけど、逆はあまりないし。
そしてストーリーを頭から追っていくと、マーリンがアーサーを見出すところからスタート。
エクスカリバーが刺さっている横で騎士たちが闘い、一番強かったものだけが挑戦のチャンスを与えられる。
挑戦権を得たのはメリアガン!
これねー最初から全員にチャレンジさせとけばいろいろもめ事を減らせたんだけど、「男の子の発想ってこうよね」感はある。
ここでメリアガンス初登場なんだけど、まぁ初っ端から剣が汚い。
当身するし剣踏みつけるし。
私が見た彼方君のメリアガンに関しては、体格がいい分当身が余計ひどく見える。
(しかもコレあくまで「殺陣」なので、コレを安全かつ美しくやらねばならぬ彼方君は大変である)
メリアガン、闇落ちする前から結構アレだぞ?となりつつ、その後アーサーがサクっと剣を抜く。
腹が立つのはわかるが「アーサーが俺からすべてを奪った」ってそれはどうなんだ??という疑問は彼方君の華麗な歌に押し流されて次のシーン。
城に移ったアーサーがエクスカリバー使って剣の稽古。
剣の師匠はガウェインだよガウェイン!
騎士としての所作が美しいよ、イケオジ師範だよ。
萌えろって言われてるよねこれは!
城に移って剣の稽古のシーン。
眼福。
その後アーサーの義兄、ケイがやっとちゃんと登場。
マーリンによって「執事」に任命される。
今回はこのケイが私的にすごく重要ですごくよかった。
ケイはアーサーと一緒に育てられ、アーサーは「腹違いの弟」と教えられている。
だけど、アーサーの出自が明らかになった時点で、「母親も違う」ことがわかってしまう。
それでもケイはずっと「お兄ちゃん」であり続ける。
アーサーの王としての孤独を和らげるのは、唯一の「家族」であるケイだけだと思う。
マーリンは今回魔法使いとしてよりは狂言回しの仕事が多いかな。
もちろんアーサーはマーリンを慕っているし、ある種親子に近いような心の交流はあるのだけど。
思い出したように「ケイがうるさい時に魔法で金縛りにさせて観客の笑いを取る」以外、マーリンの魔法ってユーサー王の悪事の手引きの時にしか使われていない。
話は進み、メリアガンの悪事を止めて、メリアガンが婚約していたグウィネヴィアと恋に落ちるところまではスタンダードな話しの流れ。
グウィネヴィアに関しては本当にコメントしづらい。
誰が演じようと、キャラクターとして理解できないんだ、私には。
恋に落ちたアーサーとグウィネヴィア、彼女を城に呼んでその後婚約。
婚約式にモルガンが現れ、ユーサー王の罪を語り、自分はアーサーの父親違いの姉であることを告白し、アーサーに復讐をすると宣言する。
そして夜、ユーサー王がかつてしたように、アーサーの「愛する人」グウィネヴィアに化けてベッドに入り込んだモルガンは子を宿す。
その子が育ってアーサーを殺すだろう、と。(これがモルドレッド)
今回のモルガンは「魔女」としての立ち位置ではなく、「復讐する者」。
メリアガンも巻き込んでいくし、魔法もそんなに使わない。
一番アーサーを苦しめているのは「モルガンのお腹に自分の子がいる」という事だし。
「復讐」とはいえモルガンは「劇場型」なんだよね。
アーサーを失墜させるには、2人だけの閉じた世界で復讐したのでは効果が薄いし、猪突猛進に復讐しているのではなく彼女は余裕がある。
そういう意味で、モルガンは今回わりと新しい形だったんじゃないかと思う。
衣装が一枚のキャラが多い中、衣装チェンジがあったのも嬉しい。
(最初はお腹にカッティングのあるセクシー系ドレス、子を宿してからはゆるやかなシルエットのドレス)
遠征続きのアーサー、さみしいグウィネヴィア。
そこに現れる騎士志望のランスロット。
強さとかっこよさで有名人という設定。
騎士になるために登城してきた時にグウィネヴィアと接触し、王の婚約者と知らずアーサーへの謁見の仲立ちを頼んでしまう。
すったもんだあって、恋に落ちる二人。
いやだからね、ここが私は理解出来ないの。
誰が演じようと、この手の「寂しかったからすぐよろめいちゃう系女子」は無理なの。
かつて宝塚雪組の「凱旋門」でもヒロインのジョアンがこのタイプで理解不能だったように、今回も無理。
なのでグウィネヴィアの役者さんに関して何もコメントできない。
可愛い顔だな、と思ったよ、としか言えない。
とにかく二人の男性の間で揺らいで苦悩するグウィネヴィア、アーサーはそれでも遠征に行かないといけないし、結婚式もあるし、と話は進んでいく。
メリアガンは王座も婚約者も奪われてどんどん荒れていく。
王座はまだしも、婚約者は…
親が一方的に決めただけだろうに、と現代人としては思ってしまう。
そしてモルガンのささやきにそそのかされて、共闘することになる。
聖杯探しもちゃんとある。
主役はアーサー、敵役はモルガンなので、聖杯探しはものすごく簡略化され、妖精のダンス1シーンだけど。
重要なのは聖杯探しに出発する前、グウィネヴィアはモルガンから結婚祝いにもらったペアリングのかたわれをランスロットにあげちゃうこと。
ここでもはや「二人の間で揺れている」じゃなくランスロットに完全に心が移っている気がするんだけど…違うの??
聖杯のある聖域?で神と対峙した時、ランスロットはメリアガンとモルガンによってグウィネヴィアがさらわれたことを神から聞かされる。
そして、聖杯を諦めてグウィネヴィアのもとへ…
話はクライマックス。
メリアガンとアーサーは決着をつけ、ランスロットは死ぬ。
ランスロットとグウィネヴィアの不義も明らかに。
ランスロットの死のシーン、グウィネヴィアとランスロットの愛の言葉が交わされる横に、ケイがいる。
アーサーは退場しているけど、ケイだけ残っている。
最初、ケイはストップモーションかと思った。
それぐらい動かない。
だけど、2人が愛をささやく度に、ケイの指だけがピクっと動くんだ。
ケイの「執事」としての立場で、飛び出していけない。
でもケイの「アーサーの家族」としての想いで、指だけが反応してしまうの。
それが切ない。
そして話は終わりに向かっていく。
グウィネヴィアは追放され、モルガンは城を出てひっそり親子で暮らしていくよう説得されそれを受け入れる。
アーサーの孤独は深まる。
ここからは私の妄想。
ケイはモルガン初登場シーンで「強い女って素敵」って言うんだよね。
その後も何回か、モルガンを想う台詞がある。
もちろん、2人が結ばれる事はないだろう。
だけど、ケイはアーサーの唯一の「個人的なつながり」でそばにいる人だから。
きっとモルガン親子の様子を見に行くのはケイだろう。
いつか、モルドレッドに「お父さん」なんて呼ばれてしまうかもしれない。
そうなっても笑顔のケイが容易に想像ついてしまう。
裏できっと泣いているケイも。
モルガンに復讐をやめてケイと生きていけるような「心の隙間」があれば良かったのに。
グウィネヴィアはランスロットに心変わりするぐらい、心に隙間だらけだったのに、モルガンは復讐に一途過ぎた。
今回のケイは最初から最後まで「アーサー思いのお兄ちゃん、ただしお調子者で能力的にはザ・凡人」だけども。
「アーサーの家族だから執事になれたのに、本当は血がつながっていなかった」はもっと苦悩していい悩みなのにほとんど悩まない。
凡人に見えて、本当にメンタルが強い。
作中で一番の「まともな倫理観の人」でもあるし。
ケイがすごく良くて、モルガンもすごく良くて、どうにかして二人が一緒に生きていけたら…と思ってしまう。
きっとケイはモルガンとアーサーの子も分け隔てなく可愛がるよ。
モルドレッド5歳ぐらいで剣の腕は負けそうだけど、でもそれを本気で喜んでくれるよ。
アーサーはいきなり王になってしまった人だけど、「王」なんだよね。
たくさんの人に寄り添うけれど、完全に同じ目線での共感はしない。
それをしてしまったら「王」の心が壊れてしまうから。
どういう「王特有の鈍感力」みたいなものと優しさを兼ね備えたアーサーはモルガンにも「復讐よりも子と幸せに生きてほしい」と願う。
モルガンを抱きしめるアーサー。
その時、モルガンの指がピクピク動いて…最後アーサーを拒絶する。
ここも「手の先の芝居」がいいのよね。
男役だった時代の技術がここに生きているなあ。
モルガンも迷ったんだと思う。
迷ったけど、幸せを選べなかった。
この話、結局「グウィネヴィアを守って死んだ」ランスロットぐらいしか幸せになってないんだなあと。
ケイには幸せになってほしい。
まっとうな人に、小さな幸せのある世界であってほしいもんだ。
役者さん個別の話をすると。
「真っ白な役」はやっぱり大変なのだなあと思う一方、浦井健治は王子様だなあ(ビジュアル)と再確認した今回。
軍服が似合う、騎士の所作が美しい。
とうこちゃんもモルガンとしての歌の音域がまさに私の好きなとうこちゃんの音域で良かった。
お腹にカッティングのあるセクシー系ドレスが1シーンしかなかったことだけが不満。
あれ似合ってたのにな~。
彼方君は、とにかく高音の歌い上げが素晴らしい。
台詞の声は今回渋い感じで大人っぽくてそれも良かったけれど、ロック系ナンバーでの高音がもう別格のすごさだった。
ラダメスの頃と比べたら、大人になったよね…
そして「神の声」がまさかの鹿賀丈史!
録音で舞台には出ないけど、それにしても豪華キャスト。
たぶんホリプロプレゼンツだからできたんだと思われる。
さすがの大物感で神々しかった。
最後に、ケイ。
私イチオシのケイ。
東山光明さんという役者さんで、コメディやダンスの経験豊富な人らしい。
本当に素晴らしかった。
まっすぐであったかくて、2.5枚目どころか2.9枚目って感じなのに、3枚目ではない。
台詞のない、執事として控えているだけのシーンでの表現力がとんでもなかった。
素晴らしい。
一部日程で休演があったものの、なんとか見られて本当によかった。
グッズに豆菓子があったり、プログラムやグッズでだけケイの「騎士姿」が見られたり、今回はグッズショップも見るのがお勧め!
ケイも騎士姿でグッズ化されるなら、とうこちゃんのモルガンもグッズでだけ騎士にすればよかったのに~。
絶対かっこいいよ!]]>
ライブ・観劇(ヅカ以外
2023-01-26T22:43:19+09:00
朽葉
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