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2019-02

もっと愛が歪んでもいいのに@ファントム

エリザベートやベルばら程ではないせよ、再演を重ねてきたファントム。
私も結構回数見ている、全バージョンコンプリートする勢いで。
ブログに書いてるのは大沢たかお版(NOT宝塚)と蘭寿とむ版(個人的にはえりたん版)の2本。

まずヅカ版と大沢版の決定的な違いは新支配人とその妻カルロッタの扱い。
さらにそれはエリックのキャラ設定にも影響していると思う。

ヅカではエリックは無垢な少年だ。
初演からその傾向はあったけど、どんどんどの方向に突き進んで今回に至る。
エリックの愛の「歪み」はあまりクローズアップしない。
その結果、クリスティーヌは聖母、支配人とカルロッタは悪役と役割がキッチリ書き分けられる。
キャリエールは不倫男なんだが、なんとなくうやむやにベラドーヴァを美化して誤魔化す。

大沢版では全員「人間」だ。
エリックは幼い精神故にクリスティーヌへの愛が歪んだ形でしか表現できない。
新支配人はカルロッタのために強引なやり方はしたけど、カルロッタへの愛は本物。
カルロッタは自己中なところはあるものの、夫を愛しオペラも愛してる。
キャリエールは優柔不断不倫男だけど、愛する気持ちも本物だ。


この差を象徴するのが、カルロッタのナンバー。
ヅカ版にはある「綺麗な子をいじめたり」という歌詞は大沢版には存在しない。


宝塚は麗しい男役というのがそりゃあもう重要な「売り」だ。
だから男役トップスターの役であるエリックを美化するのは当然なのでそれはいい。
ただ、その結果としてカルロッタが明確に悪役になってしまったのは少し残念だと思った。


今回、雪組版はさらにエリックの少年化が進んだ。
クリスティーヌのまあやちゃんが思いのほか落ち着いた役作りで、芝居後半になるとクリスティーヌの方がお姉さんに見えてくるほど。
今回キャリエールも割と若い作りなので余計に。
ざっくりした印象で言うと

宙組和央版 エリック25、キャリエール45、クリスティーヌ18、フィリップ28(回想シーンはキャリエール20、ベラドーヴァ18)
大沢版 エリック28、キャリエール50、クリスティーヌ20、フィリップ30(回想シーンは上に同じ)
雪組版 エリック18、キャリエール38、クリスティーヌ20、フィリップ25(回想シーンはキャリエール20、ベラドーヴァ22)

どのバージョンが正解かとかではなく、あくまで印象の違いの話ね。
まあやちゃんがあんまり「三歩下がって」タイプでないのを差し引いても、クリスティーヌの方がお姉さんに見えるとは。
エリックの少年化が進んでいく中で、「エリックの愛は歪んでいる」というのが見えにくくなった気がする。
だいもんは「歪んだ愛」演じるの上手い人なのにもったいない。

しかも今回キャリエールが若い。
さきながあんまりオッサンに作っていないからね。
現在40前にしか見えないから、逆算してさらにエリックが若く見えるという。

「渋い」キャリエールじゃなくなったせいで余計にキャリエールの行動が優柔不断なボクちゃんだってのが際立つ。
だから回想シーンすら姉さん女房に見える。
これはこれでいいんだけど、今までのバージョンとだいぶ違うなあ。

今回、ベラドーヴァもなかなか個性的だった。
ベラドーヴァ、キャリエールと結婚できないと分かって壊れてしまう。
街をさまよう中で怪しい老婆から薬草を買う。
この薬草のせいでエリックの顔がああなってしまうんだけど…
今までこの薬草は堕胎薬だと疑ってなかった。
怪しい老婆が町の片隅で売ってるんだから、まぁ娼婦とかに売ってるんだろうと。
でも今回はベラドーヴァは毒を飲んで死のうとしているように見えた。
理屈じゃなく、そう感じた。

それと今回、女役の従者が二人いて。
バリッバリのダンサーでとんでもなくカッコイイ。
ジャンクロードも今回かなり「父親っぽい」役作りでいいね。
そしてこの役、劇中劇のシーンで「開演!」とかのアナウンスをする。
これがあるから美声必須の役どころ、にわにわさんにはピッタリ。



今回の雪組版、私が変わったのか演出が変わったのか。
今までとかなり違う感じ方ができて面白かった。
しかも公演デザートもアタリだった。
良いことづくめ。
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祭が日常@ダンシングヒーロー単独ライブ

単独ライブっていうのは、一言で言えば祭だ。
お祭り騒ぎだ。
だから凝ったタイトル考えたり、ネタの間の映像も気合入れたり、グッズ作ったり…
そういうことが一切ない、無印の単独ライブを何年もやっているダンシングヒーローさん。
新ネタをとにかく作り、演じる。
それだけのシンプルな単独ライブ。
なんなら通し番号すらアンケートには載っていない。
シンプル自然体でネタをひたすら。
ネタの間は彼らの「仲間」がトークでつなぐ。
今回は紙のチケットも凝っていたが、本当にネタとチケットしか作っていない公演。


漫才コント50:50という、しんどい頭の使い方に正面から挑む彼らは今回も漫才5本にコント5本。

1本目。
ロッククライミングにチャレンジしたい!という漫才。
空想の中なのでアッサリ超上級者になり、断崖絶壁にチャレンジするミヤタさん。
そこに現れるのはカワナカさん演じる謎の人物多数。
リア充大学生集団が底抜けのバカだったり、なんでお前がここに?な存在がいたり。
そして最後にそれが一本の糸でつながる気持ちよさ!
よく着地できたなあ。


2本目。
エージェント(カワナカさん)がとらえられた彼女を助けに敵のアジトに乗り込む!
しかし美女は仮の姿、本当のミヤタさんは…
ええと、美女です。
誰が何といおうと、あんな優秀で情に熱い男に愛される女は美女なのです。
本当の姿がなんであっても!
平成も終わるんだぞ?と言いたくなるようなモノスゴイ口紅塗っていたとしても。
あの状況で大真面目に愛の言葉をささやくカワナカさんすごいぞ。
演者が笑ったら終わりなコントをよく作る彼らなんだけど、一回も笑ってしまったところを見たことない。
本当すごいと思う。


3本目。
お祭りデートしてみたい!という漫才。
安定の女役のミヤタさん。
カワナカさん、1本前のコントのあの男前っぷりはどこに行ってしまったの…
一切のエスコートが不成立。
ミヤタさん演じる彼女もただただ従う訳じゃなく、かなりのボリュームの文句を言っている。
見ようによっては2コ上ぐらいの年上女子とのデートっぽい…
そうなんだよ、なぜか彼ら姉さん女房設定が似合うんだよ。
姉さんすぎる彼女のパターンも前にあったが。


4本目。
今度はカワナカさんが女子化。
三連続で女子登場。
今回どうした。
ずっと笑ってたから見ているときは全く気付かなかったけど。
ハンマー投げ選手のカワナカさん、コーチのミヤタさん。
カワナカさんの中には何人か住んでいて…多重人格。
投げる瞬間人格が変わって。
一番強いのお前かよ!


5本目。
ゴマ料理の専門店ができたよ!という漫才。
ミヤタさんは鍋とプリンとスムージーをオーダー。
スムージーは飲み物枠なのか?
いや液体だけど、う~~ん。
ま、とにかくこの店は料理提供のたびにミニゲーム発生。
地味にウザくて、そのウザさがいい。
ウザいカワナカさんはこの次のネタにも出てくるけど、あの見た目で反則だコレは。


6本目。
ラジオパーソナリティーのミヤタさん。
視聴者からのハガキを読んでいたら、なんか妙にエピソード多いけど、エピソード弱いハガキ職人がいるぞ?!
ああ、カワナカさんだ。
お前は女子か!と言いたくなるネットリしたウザさをあのガタイで発揮してくれる。
そりゃあ面白いに決まっている。
ミヤタさんの女装も強いが、見た目男らしいままウザ女子化するカワナカさんも強い。
なんとか同時に見られないモノか…(カオス


7本目。
ハイテクなカーテン。
今度はウザ女子ではなくオカン化してないか、カワナカさん。
このネタに関してはもう「どこからその発想出てきたんだ?」と脳内見せてほしいレベル。
カーテンが喋るし。
ミヤタさんの設定がなんとも物悲しいけども。
あのカーテンがいればぼっちでも寂しくないね!


8本目。
ぼけ老人カワナカさん、訪問ヘルパーミヤタさんの設定でのコント。
この人たち、確信犯だな。
あんなイケメンぼけ老人いません!
もうコントの世界に住みたいわコレなら。
カワナカさんがぼけ老人設定でイケメンセリフを言うだけでも面白いのに。
ミヤタさんの演じる女子はいちいち「よろめく」って感じなのよ。
言い回し古いし、この役は別に人妻設定確定してないけど。
ミヤタさんの演じる妙齢の女性の持つ意味不明なエロさみたいなもんがフルパワー発動。
どういう仕組みであのエロさはできてるんだろう?
女性として美しいという訳では無し。
演技力というにはデフォルメ徹底してるし…
よろめきミヤタさんに、恍惚の女たらしカワナカさん。
最強、最凶、最狂。



9本目。
バイクツーリングの漫才。
今回は…二人ともちゃんと男か。
これが普通なんだけど。
なんせ今回4本も女子いたから。
バイク似合うな、カワナカさん。
どこに素直にキャーキャー言ってるミヤタさんが何とも可愛い。
マスコット感。
カワナカさんの仲間はどこで見つけてきたのかがすごく気になる。



10本目。
ゲーム要素を取り入れた寿司屋!
効果音がガッツリ入った、彼らには珍しいタイプのコント。
大将がカワナカさんで、ミヤタさんは客として振り回されっぱなし。
ゲーム音のチョイスに同年代を感じる…
今の20代や高校生にどれだけわかるかな?
私は世代ドンピシャだったものばっかりで大喜び。



今回のMC兼トークは、まめのきさんとちぇく田さん。
毎回何かしようといろんなものをもって登場。
いわゆるモノボケともちょっと、いやだいぶ違う。

最後は二人とも男の姿に戻ってお見送り。
私はうっかり彼らの衣装と同じに見える青い服でライブに行ってしまい、コートのボタンを一番上まで止めて必死に隠してご挨拶。
わざとアレやってるとしたら、いくらなんでもイタいファンにもほどがある…
次からはお笑いライブの時は服にも気を使おうと身を引き締めた。

愛と孤独と才能と@ボヘミアン・ラプソディ

何年前だろうか、小学生の頃、音楽の授業で「モーツァルトの才能に嫉妬したサリエリがモーツァルトを殺す映画」を見た。
そこに出てくるモーツァルトは不作法でバカで先輩であるサリエリに敬意のカケラも示さない非常識な男。
なのに音楽の神が選んだのはサリエリでなくモーツァルトで、音楽の才能だけは持っていた。
そのアンバランスさから目が離せなかった。

その何年か後、舞台の「モーツァルト!」を見た。
この作品ではモーツァルトは大人のヴォルフガング(通称ヴォルフ)と、子供のアマデウス(通称アマデ)に分裂していた。
正確には、ヴォルフの中にはいくつになっても子供のままのアマデが同居していた。
そして音楽の才能は本質的はヴォルフのものではなく、アマデとの異常な共存なしには存在しないものだった。
アマデが才能の具現化、というとそれはまた違う気がするので、説明が難しい。
とにかく大人のヴォルフは音楽家としての自分、一人の男としての自分として生きようとする。
そこにアマデがいることで歪が起きる。
アマデはヴォルフの中にいるけれど、ヴォルフの「一部」かと言うとそれも違う。
でもヴォルフの才能はヴォルフのみで制御できるものではなく、ヴォルフはアマデに徹底的に振り回される。
アマデを演じるているのは10才かそこらの子役なのだけど、彼らが本当ぞっとするほど研ぎ澄まされた表情をしている。
無垢。
そして、無垢だからこそ欲望に制御がない。
才能のままに作りたい。
それがヴォルフの「生活」を破壊するとしても。
作ることを邪魔するなら、アマデはヴォルフにすら牙をむく。
ヴォルフはアマデから自由になれない。
でもアマデを切り離せても、それはもうヴォルフじゃない。
才能が、人を振りまわし蝕んで、侵食して、ヤドリギのように絡み合っていく。



このボヘミアン・ラプソディもそういう話だ。
フレディ・マーキュリーは天才だ。
それはもう異論のない話だろう。
フレディはマイノリティだ。
それは民族的な事でもあり、セクシュアリティの話でもあり。
家族の輪の中ですらも、彼はマイノリティだった。
その「人の輪の中の孤独」はフレディの才能の餌となって、才能は大きく育った。
育った才能は、前以上に餌を必要とするようになった。
だから才能はフレディが孤独になるように、悪魔と取引をした。

もちろん実際の映画に才能の具現化した存在など出てこないし、悪魔だって出てこない。
最後にはフレディは再びQUEENの中に戻っていくし、「孤独」だけが彼の人生ではない。
けれど、才能に振り回され、家族を求めながら孤独へ孤独へ突っ走っていく様は、ついこんな詩的な表現にしたくなる。

フレディはバンドを、バンドメンバーを愛していた。
彼らと音楽をする時間を愛し、彼らと歌う曲を作る事を愛した。
けれど、才能はフレディが彼の才能を「QUEEN仕様」にする事が気に入らなかったのじゃないか。
フレディの中で「QUEENを愛する人としてのフレディ」と「音楽の天才としてのフレディ」は分裂してしまっていたんだろう。
QUEENと音楽は、本来フレディにとっても不可分なものだったのに。

フレディは愛を、肯定を、求め続けた。
お金を得て彼がしたことは、お金を使って肯定を集める事。
でもそうやって集めた肯定は本物ではなかった。
どんどん深みにハマっていくフレディ。
仕事仲間にも騙され、結婚しても自分のセクシュアリティに気付いてしまって上手くいかない。




フレディと一度は結婚する女性、メアリー。
史実が何割反映されているかはおいておいて、彼女との関係にこそフレディの孤独の深さが現れている。
付き合う前、メアリーは服屋の店員。
フレディにレディースも混ぜたコーディネートをして、「あなたのスタイル素敵よ」という。
フレディの中にある「セクシュアリティの揺らぎ」をメアリーは意図せず肯定してしまった。
そこから始まる「恋のようなもの」。
成功して指輪を贈って、家を建てて…
けれどある日フレディは気付いていしまう。
男に対して性的な目で見てしまう自分を。
でもメアリーが嫌な訳じゃない。
だからフレディは自分を「ゲイ」ではなく「バイ」と表現する。
それに対してメアリーは「あなた、ゲイよ」と返す。

メアリーにとってフレディの愛は「親に肯定を求める子供の愛」でしかなかったんだろうなあ。
そして台詞を見る限りメアリーはその手のだめんずを引き寄せるタイプらしい。

そして始まる奇妙な生活。
フレディはメアリーの家と自分の家を隣同士で建てた。
フレディの仕事部屋とメアリーの寝室は窓が近くて、スタンドのオンオフが見える。
そんな合図を何度もメアリーにやらせて無邪気に笑うフレディ。

このフレディの「無垢」が痛い。
フレディにとって、愛は愛なんだ。
その愛がセクシャルな欲を伴うかどうかは本質じゃない。
でも、恋人ならば夫婦ならば、その「愛にセクシャルな意味を伴うか」は大事な問題だ。
メアリーはフレディの未分化だけど無垢な愛ではなく、大人同士の清濁併せ持ちつつしっかり意味を自覚した愛を求めた。
身も蓋もない言い方をするなら、「私はアンタのお母さんじゃない!」ってわけだ。
家事とかそういう意味での「お母さんじゃない」ならまだ乗り越えようもあるけれど、愛の形としての「お母さんじゃない」は根深い。
しかも気付いているのはメアリーだけで、フレディは分かっていないから。

メアリーの「あなた、ゲイよ」は「あなたが私に求めているのは赤ん坊が母親に求める無条件の肯定という形の愛であって、恋人同士のセクシャルな愛ではない」って事を突き付ける台詞で、胸が痛かった。


そしてアメリカだなあと思った事。
ラストシーンの後、本物のフレディの半生の写真も出てくるんだが、そこにフレディの最期を看取った恋人のジム・ハットンも出ている。
映画の中でもガッツリとフレディとジムはキスしてます。
腐女子がキャーキャー言うような、コンテンツとしてのBLではない、マイノリティでも迫害されてもそうせずにいられない愛がそこにあった。
フレディとジムのキスは作品として必要だった、と思う。
あれを見て初めて「同性を愛する」という事が彼らの人生にどう影響したかを実感できたような気がする。

ライブ・エイド前に、フレディはジムと実家に行く。
ジと家族でお茶をする。
彼らは自分たちが恋人なんて言わない。
「友達」と紹介する。
けれど、母親は気付いている。
フレディが言いにくい言葉をしぼりだそうとする時、ソファのひじ掛けの上で合わさる二人の手に。



ストーリーと絡み合いながら流れるQUEENの音楽が予想通り素晴らしい。
特にウィーウィルロックユー制作シーンとクライマックスのライブ・エイド。
ウィーウィルロックユーの和訳歌詞がどうにもダサいのはご愛嬌。

タイトルにもなっているボヘミアンラプソディ。
作曲シーンのフレディの表情がたまらない。
数分のシーンなのに、彼の葛藤が全て伝わってくる。
周囲が自分に求めているもの。
自分が本当に求めているもの。
自分でもそれを望んでいるかわからないけど自分を突き動かす何か。


この映画は全てが史実という訳じゃない。
私も事前にドキュメンタリー番組とか見て事実と映画の比較とか予習したし。
でもフィクションを織り込んだことで、「才能に振り回され孤独と戦いながら愛を求める無垢な魂」というフレディ像がクッキリ立ち上がってくる。


最後に、私はこれは休日の朝イチに音響の良い大きな映画館で見た。
いい音で、大画面で、でも静かに見たかったの。
応援上映?爆音上映?好きな人もそれはそれでいい思う。
QUEENの音楽を全力で楽しむのもいいと思うし、それだけでも充分楽しめるぐらい音楽がイイ。
でも私派まずはフレディの生きざまを見たかった。
大人になってから何回か引っ越して毎回荷物を減らしてもQUEENのアルバムはずっと持ってるぐらいQUEENが好きだから。
最後の本物の写真に想定外の揺さぶられ方はしたけど、それもよかった。
さてもう一回アルバムを聞こう。

信じるために必要なこと@仮面ライダー平成ジェネレーションズFOREVER

この映画は「仮面ライダー平成ジェネレーションズFOREVER」というタイトルでわかる通り、平成の仮面ライダー大集合。
完全にファンアイテム。
私みたいな、にわかオブにわかの出る幕はない。
でもブログ書いちゃう。
だって面白かったから。


とはいえさすがに「今年しか見ていない」状態では全部は理解できてないし、ネタバレもしたくない。
だからあらすじはあんまり追わずに好き勝手書く。


この映画に貫かれてるテーマ。

「世界がどうあるかは、世界を見ている自分が決める」

そして、その過程で「自我の確立」がキーになってくる。
毎週テレビに出てるメインキャストでもライダーでもない人物としては、シンゴ、アタル、タイムジャッカーのティード。
とりあえずティードは倒さないと話が終わらないキャラ、とだけ説明して流す。
シンゴは説明するとネタバレを避けられないので、いったん飛ばす。


アタルについて語ろう。
彼はとある事情から親の愛情を受けられず、愛に飢え現実逃避を望んで生きてきた。
そんなアタルがある日「望みを具現化する力」を手にする。
その力を行使し、アタルは仮面ライダーに会いたいと願う。

そして並行世界だった筈の「仮面ライダーがフィクションの世界」と「ソウゴたちの世界」がつながった。
並行世界、タイムパラドックス(特異点)、ゴリッゴリのSFだ。
未就学児も映画館にいたんだが、あの子ら理解できるのか?
いやでもあの年齢でこのクオリティのSFに触れられるとか、将来楽しみしかないな、うらやましい。

最初は仮面ライダーが見られてただただ喜ぶアタル。
ところが、仮面ライダーって基本「悪者から市民を守るヒーロー」なんだよね。
悪者もどんどんわいてきちゃうのよ、仮面ライダーだけじゃなくて。
当然いろいろ被害も出始める。
事態はアタルにも、仮面ライダーを具現化した存在にもコントロール不能になった。
そこに現れるのがソウゴ達ジオウ世代と、戦兎達ビルド世代。
ジオウ世代とビルド世代が共闘しながらシンゴを守っていくうちに、物語の真相が見えてくる。

アタルの悲壮な叫び。
「仮面ライダーなんかいない、辛いとき仮面ライダーに助けを求めたけど、助けは来なかった」
戦兎は答える。
「ここにいる」
天才物理学者が、理屈じゃなく心で答える。
カラッポの自我を満たすため依存するのではなく。
自立した個人として信じて愛した時、仮面ライダーは確かにそこにいる。
向き合うには、自分で立って一歩距離を取らなければならない。
抱き着いたら見えない。

この戦いを通して、アタルは初めてアタルとして愛される。
自分が親に愛情を向けてもらえなかった原因、その人が自分に向けた愛情。
さらに。
自分の身勝手な望みで呼び出した仮面ライダーまでも、自分のために本気で闘ってくれる。
無償の愛、無条件の愛。
それがアタルを救う。

「愛する」とか「信じる」とか、そういうものを初めて肌で感じて。
依存するだけの自分を卒業して。
それができた時、仮面ライダーは存在する。
記憶の中に。
心の中に。
このシーン、本来のライダーファンはファンアイテムとしての粋な演出で大興奮してるんだけども、何も知らない私はそうはいかない。
でも、知らないからこそ、「記憶の中に生きている」って台詞が自分自身の経験にリンクして泣きそうになった。

シンゴも作中でどんどん強くなる。
逃げていたシンゴが敵に立ち向かった瞬間、鳥肌が立った。
作中で唯一成長しなかったティードは破滅する。

ティードは全てを仮面ライダーのせいにして、仮面ライダーのいない並行世界を作った。
けれどその箱庭は仮面ライダーを信じる気持ちによって風穴を開けられ、そしてティードは破滅した。

ラスボスに変身したティードを倒すバトルシーン。
過去作を一本も見てない私でも分かるよ。
全仮面ライダー大集合のカタルシス。
バイクの戦列。
ラスボスを倒して、砂ぼこりの中ズラっと並ぶライダーたち。
惜しげもなく出される決め台詞。
これはもう、何も知らなくても興奮する。

そしてラストシーン。
何気ない日常、おじさんとゲイツとツクヨミとソウゴのクリスマスパーティー。
仮面ライダーはどこにでもいる。
信じることが、愛することができれば。
信じて愛するために、自分の脚で立つことができれば。



アタルのせいで並行世界とつながった、と判明する前のわちゃわちゃしたコメディパートが愛おしいのも最後に書き添えておこう。
ツクヨミの異変にオロオロするゲイツが可愛すぎる。
可愛いけど…やっぱりまだ精神年齢中学生に届くかどうかって感じ。
ソウゴの弟感ある今が最高に可愛いんだけど、その未発達なメンタルってそれだけ未来の世界の過酷さを示してるからなあ。
ゲイツが成長してソウゴと対等にわちゃわちゃする姿に萌えたいと切望。



映画が終わった後出てきた「全ライダーの足型が円形に並べられたロゴ」がカッコ良すぎて、グッズを買いそうになったことを最後に報告して筆をおこう。
「買いそう」で終わった理由?グッズよりいつか出るであろうDVD買って、一年見終わった後復習するためだよ!
…ハマったな、コレ。

寄り添う王と早送りの成長@仮面ライダージオウ(オーズ編~オウマジオウ編)

その後の仮面ライダー話。

オーズ編。
「アナザーライダーになる人間は根っからの悪者ではない」という、これまでの「柔らかいヒーロー像」をさらに強固にするエピソード。
今回のアナザーライダーは王国を作り王様になるという。
ソウゴは興味津々でゲイツが止めるのも聞かず王様のもとへ飛び込んでいく。
そこで見たものはソウゴが夢見るのとは全く違う独裁国家。
なので最後はゲイツと協力してアナザーを倒すわけだが。
今回のアナザーライダー、本来の時間軸では正当なライダーの力の行使者だ。
それが、タイミングがズレて、本来とは違う人物に導かれたせいでアナザーライダーとなってしまう。

「人にはいろんな面がある」

今回の「おじさん」の名言だ。
アナザーライダーもただの「悪者」じゃない。
彼自身の物語、彼自身の力がある。
時が満ちれば、良き指導者がいれば、彼はヒーローにもなれる。
アナザーライダーは決してただの「悪者」じゃない。
人間だ。
生の人間。
いろんな感情を抱えている、愛情も憎しみも慈しみも。
人の性質は多面的。
その性質が表に出てくる方法も、一つじゃない。
アナザーライダーは「悪いヤツ」だからアナザー化したわけじゃない。
ゲイツが「正しい」力の行使者でいられるのは、ゲイツ1人の力じゃない。

本来「仮面ライダーたる資質」を持ち得た男がアナザーライダー化してしまうのは、この作品全体に流れる「善悪観」を象徴している。

ストーリーをさらに広げているのはゲイツの変化だ。
ゲイツ自身はまだその事に気付いていないけれど。
でもここ数話のゲイツの持つ「揺らぎ」が大きくなってきた。
もともとゲイツは感情面は未発達な感じが否めない。
「兵士」というよりは「少年兵」だ、盲信的な部分も含めて。
そして、この「ゆらぎ」は次のガイム編で話を動かすカギとなる。




ガイム編。
ここでは精神世界的なものとの行き来、時間軸の歪みによるソウゴ分裂などの派手な作りの回だ。
ゲイツの「揺らぎ」はゲイツが抱えきれる範囲を超えて、そのためゲイツは一旦家出をする。
ここでやっとゲイツの精神年齢が小学校高学年に到達、って感じ。
さて、そんな時でも「おじさん」は全部受け止めてくれる。
本当、親の鑑だ。

精神世界的な所と現実世界に分断されたゲイツとソウゴ。
ゲイツはなんとかここから抜け出さないといけない。
そのために奔走するソウゴ。

ゲイツの「壁」は自我の揺らぎだ。
ソウゴを憎み切れなくなってきた、盲信的に信じていた「ソウゴが諸悪の根源でコイツさえ倒せば元の世界は幸せな世界になる」という信念に疑いが生じてきた。
戦いの中でのみ生きてきたゲイツに、ソウゴは「普通の少年」として普通に友人になろうとしたから。
ゲイツの心に空いた空洞に、ゲイツは気付き始めた。
でも、その穴をソウゴに埋めてもらうことは兵士としてのアイデンティティが許さない。
キャパオーバーだ。

ソウゴの「壁」はゲイツの(他者の)力を信じ切れていないこと。
だから自分だけで頑張ろうとし過ぎてしまう。
2人が分断され、それぞれで闘うしかなくなった時、「壁」がはっきりと目の前に立ちはだかる。

そしてその壁を派手に乗り越えるゲイツ。
少年漫画的な「成長」はゲイツの役割だ。

一方で、ソウゴも変わっていく。
「任せる」ことができなければ「王」になれないことに気付いたから。

少しだけ成長した2人は最後に家で向き合う。
素直になれないゲイツなりの最大限の「譲歩」が嬉しい。
この「和解」でなんとかゲイツの精神年齢は中学突入ぐらいか。
普通の成長の何倍もの速度で兵士から子供へ、子供から青年へ。
わずか数か月で、普通の人生の数年分を生きる。
この成長速度は相当しんどいだろう。
ゲイツの葛藤は察して余りある。
けれど、苦しくても辛くても、「奪われたもの」を取り返す過程だから。
意味のある痛みだから。
なんとか乗り越えて、兵士じゃなくて人になって。
そう祈らずにいられない。




ゴースト編。
これがまた…
今回のアナザーライダーは事故死した警察官。
妹をかばって死んだところをタイムジャッカーに目をつけられアナザーライダー化。
彼は「自我のあるアナザーライダー」だ。
アナザーフォーゼも自我はあったが、アナザーゴーストはさらに一歩進んで「自身の正義に従って殺す相手を選ぶアナザーライダー」。
彼の行動原理は「正義」なんだ。
未来で事故を起こす人間を、事故を起こす前に殺してしまおうというのがアナザーゴーストの行動原理。
「もう俺みたいな人間は増やさない」的な思いなのだろう。
独善的だけど。
「加害者」にもいる、彼を大切に思う人の事は丸ごと抜け落ちているけれど。
アナザーゴーストはあくまで「正義の鉄槌」を振り下ろしている。

この「独善的な正義」もソウゴは断罪しない。
過去を改変し、警察官ごと救おうとする。
彼は王様だから、誰も見捨てはしない。
こういう「寄り添う視点」はソウゴならではで。
やっぱり彼は「王」なんだな、と思う。

ここで出てくるラスボス感満載な男、仮面ライダーディケイド。
しかし彼の意図はまだ全くわからない。
行動原理は不明だけども、ディケイドから渡された武器は強い。
過去のライダーの力の再現度がグンと上がった。
バトルシーン的にはかなりの進歩。

そして、この3エピソードで気になるのがウォズの発言。
「ゲイツはジオウの覇道に関係ない」
つまり、ジオウの完成には「仮面ライダー全ての力」が必要だがその中にゲイツは含まれない。
ゲイツは本名そのままライダーとしての名前になっていることも気になる。
ゲイツは他の「平成ライダー」とは違う、ジオウへの対抗勢力が作った後発の「作られたライダー」だ。
ウォズはアナザーライダーを作るタイムジャッカーとも昔なじみの様子。

…ゲイツが暴走しアナザー化、アナザーゲイツが真のラスボスとかありそうで怖いな。
そしてアナザーゲイツを取り込むことで力が安定してジオウは良き魔王になれるとか。



それを思いついた原因が次の「オウマジオウ編」。
未来のジオウのビジュアルがなんというか、アナザーライダーっぽいんだよね。
何かのきっかけで不安定な力がアナザー化したソウゴ、的な。
スターウォーズのアナキンからのダース・ベイダー的なことよ。

何がきっかけはわからないけれど、ソウゴに抱えきれないほどの絶望がソウゴを襲い、アナザー化した結果が世界の滅亡。
そう考えれば辻褄はあう。
その「絶望」のきっかけがゲイツだったりすれば、タイムパラドックスとかいろいろ面白くなりそう。

このオウマジオウ編ではソウゴは王様になる夢をあきらめかける。
どうやっても「悪い魔王」にしかなれないなら、そもそも王になる事をあきらめるしかないじゃないか、と。
それを止めるのはゲイツだ。
ゲイツに芽生え始めた自我が、ゲイツの意志が、ソウゴに寄り添うことを選んだ。
ゲイツが「選ぶ」ようになったこと。
これがこの後どう転ぶのか、楽しみで仕方ない。


ゲイツとソウゴ、肉体年齢はゲイツが上だけど、二人の関係性はソウゴが兄でゲイツが弟のよう。
普通に近所の幼馴染として彼らが出会えていたら、と思わずにいられない。
この関係性が長く続いて、少しでもゲイツが人として大人になってから、最終決戦に行けたらいいなと思う。
その方がきっとゲイツは強くなっているから。
ジオウがよき魔王になった後の世界では「兵士」のアイデンティティだけでは生きづらいだろうから。
2人のライダーがお互いに与える影響が深くて、目が離せない。

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朽葉

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このページの管理者、朽葉。
とにかく生のステージが好き。
お笑いメインに、芝居、宝塚と西へ東へ。

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